武将名 |
さがらよしひ |
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西 |
R相良義陽 |
肥後の戦国大名。阿蘇家と同盟して島津氏の 肥後侵入を撃退する。しかし、大友氏や伊東 氏を破った島津の勢いは止められず、やむな く和睦することになった。響ヶ原の戦いで、 阿蘇家の軍師・甲斐宗運に本陣を急襲されて 床机に座ったまま討ち死にを遂げた。
「俺らの進む道は、 光に照らされてんぜ!」 |
出身地 |
肥後国(熊本県) |
コスト |
2.0 |
兵種 |
騎馬隊 |
能力 |
武力6 統率7 |
特技 |
制圧 魅力 |
計略 |
合従の陣 |
【陣形】(発動すると陣形が出現し、 その中にいる間のみ効果が発生する。 陣形は複数同時に使用できない) 武力が上がる。ただし範囲内の味方 のいずれかが撤退すると、範囲内の 味方すべてが自城に一瞬で移動する。 |
必要士気6 |
Illustration : 武城にしき |
計略効果
カテゴリ |
士気 |
武力 |
統率 |
速度 |
兵力 |
効果時間 |
その他 |
陣形 |
6 |
+6 |
- |
- |
- |
7.3c(統率依存0.2c) |
陣内の味方武将1人が撤退すると残りの全員が帰城 舞踊中の武将は除く |
範囲戦場1/2自身中心円。
(以上3.02G) (最終修正3.02G)
解説
他家(西)コスト2騎馬唯一の制圧持ち。
武力は低いものの騎馬に重要な統率は標準の7を確保、優秀な計略持ちであることを見れば及第点。
計略は士気6で武力+6の高出力。勢力非限定。
当然大きなデメリットがあり、狭めの効果範囲、やや短めの効果時間、そして陣内で味方の撤退が発生すると全員即時帰城。
帰城で計略が終了するわけではないが、効果時間を考えると明らかにマイナス。
即時帰城すること自体は必ずしもデメリットではないが、当然相手も都合の良い帰城はさせてくれない。
攻勢の際は自身が騎馬であるためある程度コントロール可能だが、押し込まれた守勢時は使いづらい計略。
使いどころを間違えなければ単純に優秀な陣形なのだが、
これ一本では汎用に欠け、サブで使うには士気6がやや重い。弱点の範囲と効果時間を補える別計略を
デッキに入れたい。
備考
肥後(熊本県)南部に鎌倉以来領地を持つ大名。
南から島津四兄弟がのしてくるまでは平和に一族で家督争いをしており、
義陽も11歳で家督を継いで13歳のとき叔父三人に謀反を起こされたりしている。さすがマンマモーニの国。
カードテキストにあるように肥後北部の阿蘇家と同盟を結んでいて、その軍師
甲斐宗運とも不戦の誓いを結ぶほど個人的付き合いがあったが、
結局島津家に屈し和睦。島津の先兵として阿蘇へ攻め込まざるをえなくなる板挟みとなり、敢えて宗運に討たれることを選ぶ。
計略もこの際の自身を犠牲に家を保つ姿を表したものだろう。
家臣として
犬童頼安、
赤池長任、
丸目長恵ら武闘派だけでなく、深水長智など優れた家臣にも恵まれ、
彼らの支持を受け、周囲と結び、あるいは争って、島津の侵攻を10年に渡って抑えた優れた戦国大名だった。
相良氏は義陽の次男がやはり12歳で継ぎ、これも関ヶ原で西軍から東軍に寝返ったり紆余曲折あった末、存続に成功。
鎌倉以来江戸幕末まで800年、同じ領地を保ったのは、東北の相馬氏、ご存じ薩摩島津氏、そしてこの相良氏などわずかである。
+
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修正遍歴 |
2.00B 効果時間短縮(8.1c→6.9c)
2.01B 効果時間短縮(6.9c→6.5c)
2.12B 効果時間延長(6.5c→6.9c)、計略範囲拡大
2.12D 効果時間延長(6.9c→7.5c)、計略範囲拡大
2.20A 効果時間延長(7.5c→8.3c、統率依存0.6c→0.4c)
3.02A 効果時間延長(8.3c→9.2c)
3.02G 効果時間短縮(9.2c→7.3c)、統率力依存値減少(0.4c→0.2c)、計略範囲縮小、武力上昇値増加(+5→+6)
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台詞
\ |
台詞 |
開幕 |
俺らの進む道は、光に照らされてんぜ! |
計略 |
進め! 光の射す方へ! |
タッチアクション |
進め! |
撤退 |
ちっ、やりやがる! |
復活 |
よおし、行くぜ! |
伏兵 |
- |
虎口攻め |
よう、俺のこと待ってたんだろ? |
└成功 |
もうちょい手加減すりゃよかったか!? |
攻城 |
おいおい、こんなもんかあ!? |
落城 |
俺が相良義陽だ! まいったか! |
熟練度上昇 |
いっちょがんばるか! |
最終更新:2015年09月26日 05:17