月下の魔剣~遭遇【エンカウント】~ > 1



じりじりと強烈な日差しが照りつける夏の日。殺人的な猛暑の中、人通りのない住宅街を、マラソンと言うには速すぎる速度で
走り続ける3つの人影があった。どうやら大きな1つが追い、2つが固まって逃げるという構図のようだ。

汗を振り払いながら必死に逃げる男。Tシャツにハーフパンツ、夏らしいラフな服装の、ごく普通の青年だ。

そんな青年に、汗一つかかず続く女。流れる銀髪が美しい、奇妙な風貌の美少女だった。
何と言ってもこの猛暑の中で身に纏うは、あちこちに妙な金具のついた黒のロングコートである。ただしヘソは出ているが。
見ているだけで暑苦しくなりそうだが、本人は至って涼しい顔で。氷を思わせるアイスブルーの双眸も伴ってクールな印象を抱かせる。
その両目の間を中心に大きくバツを描く古傷が、彼女の凄惨な過去を思わせる。

そんな二人を追いかける大柄な人影は、さらに奇妙な姿だった。それが身につけているのは所々破れたジーパンのみ。
その全身は黒味がかった獣毛に覆われ、鼻面は前に突き出し、耳は天を向き、爪は鋭く湾曲。腰から伸びるふさふさの尻尾が荒々しく振るわれる。
それはまさに伝説上の怪物、狼男の姿であった。が、その血走った眼、獣の唸り声は知性というものをまるで感じさせず
もし服を纏わず四足で走っていたのなら、それは巨大な狼にしか見えなかったであろう。

追いかける狼男は、人間二人に次第に追いつきつつあった。
その距離が数歩圏内に入ったその瞬間、少女が大きく跳んで空中で反転、振るわれた両腕から細身のナイフが放たれる。
同時に投げられた2本のナイフは正確なコントロールで、吸い込まれるように狼男の両腿に深く突き刺さった。
狼男は一瞬大きくバランスを崩すが、転倒には至らず。刺さったナイフを気にも留めず、野獣の咆哮を上げ再び追跡を開始する。

「くっ! 足止めにもならんかっ!」

少女は悔しげに呟くと、容易く数歩先を逃げる青年の隣についた。

「しかしどういうことだ…? ケダモノもケダモノなりに知性はあったはずだが、今日の奴からは知性の欠片も感じられん。
 一般人の目に触れるのは奴とて避けたいはずだが…」
「ありゃっ、お前のせいだろがっ、クロスっ!」

息を切らしながら少女に指摘する青年。クロスと呼ばれた少女は少し驚いたような顔を向ける。

「む? 私のせいとはどういうことだ、ナオキ?」

青年と対称的に涼しい顔で疑問を向けるクロス。ナオキと呼ばれた青年は額に手を当てて、苦しげな溜息を吐いた。

「あのなあっ、お前のっ『挑発して跳ばせてslow』って戦法は理解してるがっ、あの挑発はやり過ぎっ!」
「やり過ぎ、とは?」
「いいかっ、男にはなぁっ、言っていいこととっ、悪いことってのがあるんだよっ! 今日のアレはっ、激怒して当然だっ!」
「ふむ…私は言ってはまずいことを言ったのか…」

クロスは額にトントンと指を当て、少し考える。そして

「"ピーーーーー"か? あるいは"ピーーーー」
「言うなああああっ!!!! ッハァー、ハァー…」

麗しい少女の口から躊躇なく飛び出す放送禁止用語。走りながら無理矢理大声を出したナオキは、乱れた息を必死で整える。

「つーかっ、仮にも年頃の女がっ、そういう言葉をっ、口に出すもんじゃねえのっ!」
「む、仮にもとはなんだ仮にもとは。私はれっきとした女だ。失礼だぞナオキ」
「ほっ、ほおぉっ、お前の口から、失礼なんて言葉が聞けるとは思わなかったぞ」
「…ん。そう褒めるな。照れる」
「褒めてねーよ!?」

そんなやりとりを続けながら逃げる二人に対して、狼男は着実に距離を縮めていた。
両腿に刺さったナイフは抜け落ち、相当に深かったはずの傷口は異常な再生能力により既に消えている。

クロスは迫りつつある狼男と、息を切らせるナオキを見て素早く考えを巡らせる。
ナオキの体力はもはや限界が近い。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
奴が跳ぶのを待ってもらちがあかない。かといってここで足を止めて戦えば、確実に多くの人の目に触れてしまう。
どこかになかったか。人目に触れない、広い空間。どこか……

「っナオキ! あの柵を超えるぞっ!」
「ああっ!? あそこって確か……動物園だろっ!? 無断入園かよ!」
「そんなこと言ってる場合ではないだろう。あそこは無駄に広い上いつも空いている。対峙する場所としては悪くない」

さらにもうひとつ、と自信ありげにクロスは続ける。

「動物園にあのケダモノだ。人に見られたとしても、檻から逃げ出した狼と飼育員とでも言っておけば問題あるまい?」
「………いや、その言い訳はだいぶ無理あるんじゃねえの…?」
「……ともかく行くぞ、ナオキ」
「ちょっ!? 速えよ!」

言うなり、高さ3mはあるだろう柵を華麗に駆けのぼるクロス。
片や、残った体力を総動員して不格好ながらも必死によじ登るナオキ。

「何をしている。追いつかれるぞナオキ」
「おっ、俺はなあっ!」

もたつくナオキの足に狼男の爪がかかるその寸前、クロスの手を借りてなんとか柵を登りきり、その勢いのまま落ちるように園内に侵入した。

「お前みたいな超人じゃねえの! ごく普通の一般人なの!」

芝生に倒れ込みゼーハーと荒い息をする。クロスは無慈悲に、そんなナオキの腕をとって立ち上がらせた。

「……一息に飛び越えでもしてくれたらそれで終わりだったんだがな」

クロスは先程乗り越えた柵に目を向け、小さく溜息をついた。ナオキは正直見たくもなかったが、仕方なく同じ方向を見る。
頑丈だった柵は、狼男のたった一度の体当たりで大きくひしゃげていた。あと数回の内に柵は破られてしまうだろう。

「ナオキ。疲れているところを悪いがもう少し走ってもらうぞ」
「へいへいわぁったよ、わかりましたよ。できるだけ早くなんとかしてくれよな」

狼男と対峙できる場所を求めて、二人は人気のない園内を走り出すのだった。


 『月下の魔剣~遭遇【エンカウント】~』


俺の名は岬 月下。
闇に染まるこの世界。脆弱な光の中に救いなどありはしない。
問題無い。天の救いなど、この俺には必要の無いものだ。
俺は、神に叛く男。世の理を破る者。付き従えるは魔の力。
使役する使い魔の名は『深緑の鎌【エメラルド・マンティス】』。頼れる相棒だ。

光に屈する魔獣共よ恐れ慄くがいい、俺は無限の闇を内包せし者。太陽などに屈しは…屈しは……

「……暑い」

どれだけ妄想の世界に逃避しようとも、暑いものは暑かった。


「…なあ。俺帰っていいか」
「ダーメ。もうしばらくそこにいてよ頼むから。後でなんか奢るからさ」

ある夏の日の動物園。
日傘を差した一見少年に見える少女、水野晶と、被った野球帽の上にちょこんとカマキリを乗せた少年、岬陽太は、並んで動物の柵の前に立っている。
目の前で二人をじっと見つめる動物は、大きな耳に長い鼻。全身に年老いた印象はあるが、温厚な目をした大きな象だった。
そんなところで一人喋る少女。傍から見れば、隣の少年に話しかけているように思うだろう。

「ハナ! 久しぶり、元気だった? 夏バテしてない?」
「……………」
「うん、そっか。よかった」

実際は違う。晶は直接象に向けて話しかけていた。目に見える形で象からの返事はないが、晶は満足げに頷いた。
できもしない会話をした気になっている寂しい人、などではない。なぜなら事実、晶は昼の読心能力で動物と会話できるのだ。
とはいえそれは動物側に、人間の言葉を理解するだけの知能が必要であるが。この齢60を超える雌の老象、ハナは、
晶の小さい頃からそれを普通にやってのけるとても賢い象だった。

「最近変なことばっかりでさー」
「………」

7歳のとき、晶の昼能力は発現した。無意識性、動物読心能力。意識せずとも、常に動物の心が視えてしまう力。
運悪くその能力が発現したのは、遠足でこの動物園に来る日の朝だった。
耳を塞いでも目を閉じても、洪水の如く流れ込む意思。まだ今ほど能力が世間に浸透していなかった時期のこと、
未知の能力に翻弄される晶の苦しみは誰にも理解してもらえなかった。

「………」
「ふふ、ありがと。僕は大丈夫だよ」

混沌を極める意思の奔流の中にただひとつ、晶にとって安心できる意思があった。
様子のおかしい晶を心配し、労りの意思を向けた優しい動物がいた。それがこの象、ハナだったのだ。
その優しさに、幼い晶はどれだけ救われたことか。

「……………」
「え、ホント!? わぁ、よかったねハナ!」

それから何度も、能力が制御できるようになった今でも、晶はしばしばこの象に会いに来ている。隣に立つ係の陽太を連れて。
人生の大先輩である彼女は、晶に様々な歴史を語る。晶はこの老象を、まるで本物の祖母のように感じていた。

「………」
「うん、そっかぁ…元気で会えるといいね」

久しぶりに会った彼女との会話に夢中で、そろりそろりとその場を離れる陽太に晶は気付くことができなかった。


<続く>

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最終更新:2010年10月03日 13:42
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