「さて、本題に入ろう。カマタ、アキラ、君たちに話しておくべきことだ」
物音一つ届かない、外界から切り離された小部屋。テーブルに並んだコーヒーが静かに湯気を揺らしている。
直輝の隣、鎌田と晶に向かい合う席についた
クロスは、指を組んでこう切り出した。
「単刀直入に言う。今日のことを忘れてほしい」
あまりに直線的な物言いに晶は少し驚く。
「忘れって…どこからですか?」
「君たちが
ファングと遭遇し我々と会ってから、見たこと、聞いたこと、体験してしまったこと、その全てだ。
急に忘れろというのも無理があるだろう。だから今日のことは君たちの頭だけに留めて、一切の他言をしないでほしい」
「それって…」
「勝手なことを言っているのはわかっている。だがわかってほしい。それが君たちの為なんだ」
晶と鎌田は顔を見合わせる。お互いになんとなく予想はしていたことだ。先に鎌田が口を開く。
「構いませんよ、そんなことなら。武勇伝は自分で語るものじゃないですからね」
「僕も喋ったりしませんよ。知り合いの耳に入ったりなんかしたら絶対厄介なことになるので」
「あー…うん、そうだねー…」
苦笑いする晶に鎌田も同意する。覚えた疑問は頭の中に留めて、クロスは二人に感謝を述べた。
「ありがとう。協力に感謝する」
「っていうかそんな簡単なことでいいんですか?」
予想通り、むしろ予想より緩かったクロスの言葉に少し拍子抜けしていた晶が尋ねる。
「いいのか、とは?」
「いえ、秘密組織とか機関とかっていうからには、もっとガチガチに機密保持とかされてるものかと……」
「機密保持……か。そうだな。確かにそういう場合もある。相応の準備もある」
「準備?」
不意に、すぅ…と。見つめるクロスの瞳が暗く沈んでいく。
「機関による措置で、君たちの記憶を跡形も無く消し去ることもできる」
ひやり。
氷の双眸に射止められ、晶の背筋が一瞬で凍りつく。
それは例えるならば、温水を流していたシャワーが突如冷水に変わった感覚に似て。
そして本能的に理解する。彼女は、自分たち一般人とは別世界に住む人間なのだと。
「お、おいクロス、その言い方はさすがに……っ…」
クロスと違いあくまで一般人である直輝が軽く咎めようとするが、クロスの冷たい眼光に言葉を失う。
「わかってくれナオキ。重要なことなんだ」
その冷たい瞳の奥に、どこか哀しげな光が見えた気がした。
「機密保持の観点から見て君たちの現状は、紙一重でセーフと言ったところだ。
もし君たちが我々を詮索する意思を見せていたのなら。そして今後、外部に漏らす可能性が高いと判断してしまえば。
我々は君たちの記憶を消去、あるいは改変せざるを得なくなる。そこに誰かの意思が入る余地は一切無く、だ」
だが…とクロスは少し目を伏せ、顔を上げて二人を見る。瞳に宿った暗い光は消えていた。
「私個人としては、君たちにこの措置を適用したくはない。
君たちは何の罪もない被害者だというのに、巻き込んでしまった我々に文句一つ言わず、あまつさえ自ら協力を申し出たのだ。
本来身の安全を考えれば褒められた行為ではないかも知れん。だが君たちの善意の行動に、私は大いに助けられた。それは紛れもない事実だ」
クロスに真顔でそう言われて、当の二人は照れくさくなる。鎌田は首の後ろを掻いて、晶はコーヒーカップを弄りながら。
「い、いやぁ、ヒーローを目指す者としては当然のことですので」
「余計なお人好し、ってよく言われます…」
そんな二人を見て、クロスはふっと、小さな笑みを浮かべる。
「私は、そんな君たちに強い好感を抱いている」
その一瞬を目にして晶は少し驚いた。
大きな傷と無表情で強面の印象を受けるクロスだが、笑った彼女は紛れもない美少女だ。
すぐに元の無表情に戻ってしまうクロスを見て、もったいないなと晶は思った。
「カマタ、アキラ。君たちの記憶を弄るなどという行為を、私はしたくない。
どうか私に、この措置を使わせないでほしい」
そう言って頭を下げるクロス。隣の直輝がクロスの態度に驚いた顔を見せる。
頭を下げられた鎌田と晶も内心驚いた。そうして、肺に残った息を一度吐いて、大きく吸う。
「誓いますよ。今日のことは絶対に人に言ったりしません。調べたりもしません」
「僕も誓います。もし人に聞かれたとしても絶対に喋ったりしません」
最初に言われたときとは違う、しっかりとした決意をもって答えた。
「ありがとう。君たちの協力に心から感謝する」
その決意は、クロスの心に伝わっただろうか。伝わっていたらいいなと晶は思う。
「さて」
クロスは小さく呟き、戸棚の引き出しから封のされた封筒を二枚抜いてテーブルに置き、
二人の前ににそれぞれ押し出す。これは? と尋ねる晶に答えるクロス。
「今回のことに対する慰謝料。まあ、迷惑料だ。受け取ってくれ」
二人は同時に、え? と声を漏らして
「いやいやそれは受け取れませんよ!」
「いやちょっとそれはさすがに!」
二人同時に全力拒否する。不思議そうな顔で何故だ? と尋ねるクロス。
「だって僕何もしてないですし! 鎌田さんはともかくっ」
「いや僕だって勝手に手伝っただけですから! 最初に逃げろって言われたのに!」
「だが我々が迷惑をかけたのは事実でだな」
「いやでもお金は受け取れませんって!」
「見返り目当てにしたことじゃないですからっ!」
「そうは言っても何も返さないわけには」
「……機関って妙なとこで生々しいのな」
三人のいつまでも終わりそうにないやりとりを聞きながら、誰に言うでもなく直輝はポツリと呟いた。
っと、いつまでも眺めているわけにはいかないか。二人を助けなくては。
直輝はそう思い、まず机の上で行ったり来たりしている封筒を横から回収する。
「おいナオキ何を…!」
「お前も少しは人心ってもんを学習しろ」
文句を言うクロスにぴしゃりと言い放ち、封筒は戸棚に戻す。鎌田と晶がほっとするのが見てとれた。
「クロスが空気読めなくてごめんな。まったくこいつは頭硬くってしゃーない」
「おいナオキ」
「今はちょっとだけ黙っとこーな、話下手なのは自覚してるだろ」
「む……」
いまいち納得はしていない様子だが一応クロスは黙り、代わって直輝が二人と向き合う。
「鎌田さんと晶君には本当に迷惑をかけたし、クロスも俺も協力に心から感謝してるんだ。なんとしてもこの恩を返したいと思ってる」
「いやでもお金を受け取るわけにはいきませんよ」
「ああ、わかってる。鎌田さんならそう言うと思ってたよ。だから…そうだな、お金以外の形で何か返せることはないか?
欲しいものとか、俺たちにしてほしいこととか……」
「うーん…そういうのもこれと言って……ちょっと待ってくださいね」
鎌田と晶は黙って考え込む。
数秒後、あっ、と声を上げたのは晶だった。
「情報…っていうのはどうでしょうか?」
「情報…?」
そこまでのやりとりを黙って聞いていたクロスが晶を見る。その瞳に宿る氷。
「我々や敵対組織に関する情報をこれ以上開示することはできない。決して他言しないとしてもだ」
「も、勿論それはわかってます。そうじゃなくてその…調べてほしい人がいるんです」
晶の意図に気付き、あ、と声を上げる鎌田。「どうなんだ?」とクロスを見る直輝。クロスは少し考えて、答える。
「……それが可能かどうかは、人による。
確かに、機関のデータベースから個人情報を引き出すことはできる。一般的には知りえない情報を開示することも可能と言えば可能だ。
ただし人によっては、どうしても開示できない特秘事項も存在する。だからあくまでその人物による。それでもいいのなら…」
クロスはいつの間にか手の平サイズのPDA装置を手にしていて、手慣れた動きで操作をしながら晶に尋ねる。
「名前はわかっているか? 本名でなくてもいい。通称や偽名でもほぼ問題ない」
「わかってます。たぶん本名だと思います。名前は……」
晶はちらりと鎌田を見る。小さく頷く鎌田。そして、大きく深呼吸すると
「比留間 慎也」
晶にとっても鎌田にとっても、大きな因縁のあるその名前を口にした。
「っ…!」
クロスはほんの小さく驚きの声を漏らして、PDAを操作していた指を止める。緊張の面持ちでそれを見る晶、鎌田。
そんな沈黙をすぐに破ったのは直輝だった。
「へ?
比留間慎也ってあの有名な博士のことか? ファンか何か」
「ナオキ。少し黙っていろ」
そんな直輝の反応こそ、一般人の反応だろう。
それに対するクロスは口調こそ静かだが、その声には底知れぬ迫力が込められていて、直輝は思わず口を噤む。
「それは……有名能力研究者の比留間慎也で相違ないか」
「はい。その人です」
「そうか……」
クロスは手元に目を落として、しばらく考え込んでいた。指は画面に触れず、その表面に浮かんでいる。
やがて、コトリとテーブルに置かれるPDA装置。その入力画面は空欄のままだった。
「すまない。その人物についての情報を開示することはできない」
その声には、本当に申し訳ないという悲痛な響きが込められていて。
「そう……ですか……」
晶にはそれ以上の追及ができなかった。
一般人である自分たちに可能な調べ方では、その情報を掴むことができない。
以前に奇妙な出会いを果たした能力研究者、ドクトルJ。彼が同じ能力研究者という共通点を頼りに尋ねたこともあったが、
情報を得ることはできなかった。結局のところ表のやり方では、どうやっても比留間慎也という男の実態を知ることはできないのだろう。
だが裏の世界なら、クロスのいる世界なら或いは。そう期待していただけに、晶の落胆は大きかった。
「あのっ! それなら別の人、いいですか」
ガックリとうなだれる晶に変わり鎌田が声を上げる。肯定し、再びPDAを手に取るクロス。
「名前は、鳳凰堂 空國」
「ホウオウドウ…?」
「あ、そっか!」
まだそれがあった。鎌田が見つけた、比留間に繋がる手がかりのひとつ。
この人物もまた比留間ほどではないにせよ情報が少なく、今までの調査結果は芳しくなかった。
クロスはPDAを操作しながら鎌田に尋ねる。
「鳳凰堂 空國。『すぐできる!人心掌握術』『リーダーの心得』著者で相違ないか」
「それです!」
「ふむ。そうだな……」
二人揃って操作を続けるクロスを凝視する。やがてクロスは手元から顔を上げた。
「この人物の情報を開示することは可能だ。それで問題ないか?」
「オッケーです!」
「バッチリです!」
鎌田と晶はどちらからともなく手を出して、パシンとハイタッチをするのだった。
「では詳しく調べて一週間以内に情報を送る。手段はこちらに任せてほしい。何か要望は?」
「あ、えーとそれじゃ…僕の方はやめて晶君だけに送ってもらえますか? 僕はちょっと事情があるので…」
「ああ、そうですね。それでお願いします」
「わかった。アキラだけに送ろう」
クロスは、ふぅ、と息をついて椅子に深く座る。ここまで口をつけていなかったコーヒーを一息に飲みほして一言。
「ナオキ。ぬるいぞ」
「当然だろが! 話してた時間考えろ!」
その言葉に触発されて晶が時計を見ると、すでに夕刻。時期が真夏だけに日没はまだ遠いが、もう帰宅を考えるべき時間だった。
「話すべきことは以上だ。長い時間拘束してすまなかった」
「いえ、そんなことないですよ」
立ち上がるクロスと直輝に続いて晶と鎌田も立とうとしたが、クロスに止められる。
「重ね重ね悪いが、最後にもう少しだけ待ってほしい。私とナオキがこの部屋を出てから、5分後に裏の扉が開く。二人はそこから出てほしい」
「あ…はい、わかりました」
「良し。それでは」
クロスと直輝はドアの前に立ち、最後に一言ずつ。
「カマタ、アキラ。今日君たちに出会えたことを私は光栄に思う。君たちの幸運を祈っている。もう会うことはないだろうが…」
「そういう余計なこと言わない。鎌田さんに晶君、今日は色々悪かった。協力をありがとう。いくら感謝してもしたりないくらいだ」
「いえいえこちらこそ、なんというか……貴重な体験ができて」
「僕なんか本当に何にもしてないですけどね」
「ははは。そんじゃあ」
最後に別れの挨拶を交わして、二人は扉の向こうへと消えていった。
人口が半減し、しんと静まりかえった小部屋。沈黙を破ったのは鎌田だった。
「あるんだねえ。こういう世界も」
冷めたコーヒーを一口すすって、晶が答える。
「ええ、実際にあるものなんですね」
「ああいうのって創作物の中だけの話だと思ってた」
「うん、僕も。コードネーム付きの機関とか秘密組織とか、あいつの妄想の中だけの話だと思ってました」
「そこはさすが……全人類が超能力者な世界ってとこかな?」
「まあ確かに。厨二病が正式な精神疾患になってるくらいですから」
「ただの想像だったものに力が伴って、結果実現しちゃうわけだ」
「そういうことでしょうね。まあ何にせよ……」
「陽太がこの場にいなくてよかった。ホントよかった」
「同感。いたら絶対厄介なことになってたよね」
鎌田と晶は二人揃って、大きな溜息をつくのだった。
「むぐをぉう゛っ!?」
4人が去って一時間ほど経った後、人気のない動物園の通路の真ん中で唐突に上がる激しい物音と男の悲鳴。
その音の余韻まで消えた後、物音の出元と思われるゴミやガラクタの山がもそもそと動き、不意に弾け飛ぶ。
「っだああああぁぁっ! ちっきしょうっ! またやりゃあがったなスカーフェイスっ!」
ガラクタの山から出て来るなり怒りの咆哮を上げるのは、黒味がかった毛並みの狼男。
ファングというコードネームを持つ彼は、今から一時間ほど前、長年の腐れ縁とも言うべき相手と
それに協力した変身能力者との激しい戦闘の末、見事に相手の能力を食らい今に至っている。
「どうしてこうなってんだっ!? つーかどこだよここはっ!? …って変身してんのか俺!?」
の、だが。何か様子がおかしい。彼には現状がまるで把握できていないように見えた。
まずざっと周囲を見渡し、人が居ないことを確認。大時計を見上げて、驚きの声を上げる。
「5時半!? 嘘だろおいっ!?」
戦闘でよりボロボロになったジーンズを探り携帯電話を抜き出す。が、その画面は闇に染まり、電源が入る気配がない。
舌打ちをして少し周りを見回した後、目に付いた木の根元にどかりと座り込んで腕を組み、天に鼻先を向けて考える。
「ありゃスカーフェイスの能力で間違いねえよな。何時あいつに会った…? 今日はどうしてた俺…?
アジト出たのが昼過ぎで…暑いからコンビニ寄って……ベンチに座っててそっから……そっから………」
上を向いていた鼻先がだんだんと下がっていき、眉間には深い皺が刻まれていく。そして数秒後。
「だあぁくっそ何も覚えてねえよっ! 俺が何したってんだっ! 俺に何しやがったあのクソ女ァッッ!!」
咆哮しながら木に叩きつけた拳はその全体を大きく揺らし、その幹に数センチほどめり込んだ拳の跡を残した。
「……仕方ねえ、帰るか。オヤっさんに報告…しなきゃなんねぇのかなあ…ああくっそメンドくせえ…」
ぶつぶつと呟き、重く垂れた尻尾に哀愁を漂わせながら、狼男は夕方の傾いた日差しの中を帰っていくのだった。
とぼとぼと遠く離れていく背中を物陰から見届ける視線が一つ。
長身痩躯で横長の眼鏡をかけたその男は、手にした音声入力装置に向けて抑揚のない声で呟く。
「効果時間は推定2時間14分から3時間21分。対象に効果時間中の記憶は無い模様。観測を終える」
男は装置の電源を切り、狼男と反対方向に歩きだす。無駄な行動をとらないその男。しかしその口元は小さく歪んでいた。
あの衝撃的な遭遇から、一週間の時が経ったある日。
帰宅して自室に戻った晶の勉強机に、何も書いていないA4サイズの封筒が置いてあった。
郵便物ではない、置いた覚えのない封筒。晶は訝しげに手にとってピンと気付く。これは恐らくクロスに依頼した鳳凰堂空國の情報。
封を切り、中身を一枚だけ抜き出してそれが正解であることを確認すると、きちんと元に戻す。これは後で鎌田と一緒に見るべきだ。
無論陽太には内緒で。なんだかんだで陽太は個人行動が多いので大丈夫だろう。
何時の間にどうやって封筒を置いたのか気にはなったが、答えは出そうにないので考えるのはやめておいた。
そして翌日、晶と人化状態の鎌田は岬家の一室にいた。陽太は今、修行だか何かで出かけているらしく家にいない。
二人は目を合わせて互いに頷くと、晶は封筒の中にある数枚の書類を取り出した。
「これって……どういうことだろう」
「うーん……わかりません……」
数分後。取り出した書類全てに目を通した二人は揃って首を捻っていた。
内容は確かに目的の人物、鳳凰堂空國の情報だった。顔写真こそ無いが、出生から大学、就職、その後までの経歴が事細かに記されていた。
誰もが名を知る超名門大学で博士号を取得、国際的な研究組織へ就職。生物工学の分野にて高い成果を収め、国際学会の役員となり……
言うなれば超エリート。比留間慎也にほど近い立場であるというのも頷ける。その立場は西暦2000年のチェンジリング・デイ以降も
変わっていなかったのだが……
2005年、チェンジリング・デイから5年後。鳳凰堂空國はそれら全ての立場から退く。
それは論文に名前が載らなくなった時期でもあったので予想はしていたことだ。
問題はその後。そこから最も肝心な現在に至るまで、ほとんどのデータが『不明』となっているのだ。
立場を退くと同時に住居であった高級マンションも引き払い、現住所不明、仕事不明。そこからの経歴には出版した本の名前が並ぶだけ。
本人とコンタクトをとるために最も大切な部分がスッパリと抜けてしまっていた。
「もしかしてこれ以降は機密事項ってこと……?」
「いや、でも不明って……うーん……」
鎌田は並んだ書類を再び手に取り眺めるが、それ以外の情報はどこにもなく。
晶は空になった封筒を手に取り「あっ!」と声を上げた。
「どうしたの晶君?」
「すいません鎌田さん、まだありました」
晶の些細な勘違い。書類とサイズが違い封筒にの奥にあることで気付かなかった、手紙サイズの封筒が残っていたのだ。
封筒には引いて開ける箱菓子のような封があり、封の表面には「密閉状態」の文字。
どうやら普通の封筒ではなく、開封まで内部が密閉される特殊な物であるらしい。
恐らくそうしなければならない理由があるのだ。
「ええっとこれ……開けていいですかね?」
「うん。開けてみよう」
晶はごくりと唾を飲み込むと、慎重に封を開けていった。
中身は全てクロス本人のものと思われる手書きの手紙だった。走り書きながらも流暢な文字で読みやすい。
まず一番表にあって目についたのが、小さい紙の注意書き。その文章にいきなり驚かされる。
この封筒内の文章の転写、撮影、書き写し他、記録として残る全ての行動を禁じる。
迅速に黙読し記憶のみに留めること。封筒内の文字は開封後約10分で消失する。
「消失っ!?」
「そういう特殊なインクか何かですかね」
「これ本格的に機密っぽいな…」
「三枚あるみたいですよ。まず一枚目」
鳳凰堂空國の所在地について。
鳳凰堂空國は2005年にそれまでの住居を離れており、それ以降の住所登録を行っていない。
機関のデータベースでもその後は追跡不可能となっており、そうなる所在地は数箇所に限定される。
加えて著書の出版社から所在を調べた結果、彼の所在地として可能性の高い地域が浮かび上がった。
そこは政府指定D13隔離地域。出入り不可能な巨大な壁で隔離された、通称「魔窟」と呼ばれる
地域だ。2005年以降、彼は何らかの手段で隔壁を超え、同地域に身を置いた可能性が高い。
「……魔窟……」
「…あ、あの魔窟っていうのは」
「いや、わかってる。この世界のことを調べて、そこがどういう地域かも理解してるつもりだ」
「そう……ですか。…とりあえず二枚目行きましょう」
鳳凰堂空國の能力について。
現在世界には、個人の能力行使により世界全土に影響を及ぼす、言わば「世界を変え得る能力者」が
約10万人に1人の確率で存在している。そして鳳凰堂空國は、そういった能力者の一人であること
が判明した。残念ながら能力の具体的な内容は判明していない。しかしどんな能力にせよ、そういっ
た強力な能力には高確率で後ろ暗い陰謀が絡む。不用意な接触は危険と言えるだろう。
「えええぇ……」
「…三枚目行きましょう三枚目」
提供した情報をどう使うかは自由だ。だが前述の理由から、現在、鳳凰堂空國との接触は非常に困難
な状況と言える。また万一接触できたとしても、それを理由にその身に危険が及ぶ可能性がある。
経験上から言わせてもらえば、労力とリスクの大きさを考え、接触は最初から考えないことが賢明だ。
実際に接触を考えるのは他に手が無く、本当に必要な場面での最終手段とするべきだろう。
完全な情報を提供できず、このような形での報告となってしまい大変申し訳ない。幸運を祈る。
「………」
「………」
封筒の中身はそれで全てだった。ふと気付けば、それらの文字は少しずつ薄く色素を失ってきている。
鎌田は無言で、薄れゆく文章を凝視し続けていて。やがてそれらの文字は白い紙に溶けるように消えていった。
それからしばらくの間、険しい顔で白紙を睨み続けていた鎌田。
その横顔に晶はおずおずと声をかける。
「あ、あの…」
「……何だい?」
「あの魔窟に侵入しようとか、そういうこと考えちゃ駄目ですよ。あんな壁で隔離されるくらい危険な場所で
暴力が支配する世界で、法律も何もなくて……ともかくあそこは駄目です!」
晶の言葉を受けて、鎌田は数秒間動きを止めて。
「…………駄目かあ」
ポツリと呟き、白紙を畳んで晶に向き直る。その顔から険しい表情は消えていた。
「ま、大学とか直前まで勤めてた場所はわかったんだ。そっちの方から地道に調べてみるさ。大丈夫大丈夫」
そう言ってニコリと微笑む。の、だが…
「そ…そうですよね! ……うん」
声をかける直前に見せた鎌田の、決意を固めたような表情が気になって。その態度が唐突に変わったのが気になって。
晶は胸に渦巻く不安を、最後まで消し去ることができなかった。
<おわり>
登場キャラクター
最終更新:2011年02月19日 21:40