言葉を失う晶の目の前で、ゆらりと後ろ脚で立ち上がる狼。見下ろす狼の突き刺すような眼光が晶を射止める。
一刻も早く逃げろと警鐘を鳴らす脳とは裏腹に、その足は凍りついたように動かず。
その前足、むしろ腕と言うべきか、分厚い筋肉と獣毛に覆われたそれががゆっくりと晶へと伸びて……
瞬間その上腕部、続けざまに肩、脇腹へと突き刺さる投げナイフ。
狼は僅かに呻き、3本のナイフが飛来したその先に体ごと怒りの形相を向ける
「貴様っ! 一般人に手を出すとはどういう了見だ! お前の狙いは私だろう!」
狼と晶の耳に勇ましく響く女性の声。
向けた視線の先には、黒のロングコートに長い銀髪、大振りのナイフを右手に構える若い女性の姿があった。
「グルルルオオオオォォォォッ!!」
怒りの声を上げ女性へと襲いかかる狼。二本の脚で人間のように走るその姿は、狼というよりむしろ狼男だ。
恐るべき加速から突き出された爪を女性は目にも止まらぬ螺旋運動で回避、回転の勢いのまま、隙ができた後頭部首筋にナイフを突き立てる。
「ガッ!?」
狼男の口から苦痛の声が洩れる。そして走った勢いをそのまま盛大に倒れ、そのまま動かなくなった。
狼男は、大型ナイフの柄だけが延髄から生えている状態。急所を深々と貫かれたのだ、如何な生物とて絶命は免れないだろう。
しかし女性は油断なく新たなナイフを構え、倒れて動かない狼男を凝視、視線を外さないままに言う。
「ナオキ! 怪我人を頼む!」
「お、おう、わかった!」
そこで初めてその存在に気付いた。目立つ女性に気を取られて気付かなかったが、女性の傍にもう一人、いたって普通の格好をした青年がいたのだ。
ナオキと呼ばれたその青年はまっすぐ晶に駆け寄るなり、謝罪と安否の確認を向ける。
「すまない! 君大丈夫か!?」
「ぼ、僕は大丈夫ですけど……そうだ鎌田さん!」
「えっ? 君一人じゃなかったのか!?」
「鎌田さーん! 大丈夫ですか鎌田さーーん!!」
手すりから身を乗り出し、カバの池へと叫ぶ晶。ナオキが目を向けると突然カバの隣の水面が大きく跳ね、そこから人影が出現する。
「おっおーい! あんた大丈夫かー!」
「あー、一応大丈夫ですー! ええっと……はじめましてー」
そう叫び、元気に手を振る人影を見て、ナオキは大きく安堵のため息をついた。
迷惑そうな目を向けるカバに軽く謝罪の動きをすると、陸に上がり池を迂回して歩いてくる、鎌田と呼ばれた人影。
すぐにナオキはその鎌田の姿が尋常ではないことに気付く。何と言ってもその頭部は鮮やかな薄緑色の逆三角形なのだ。
晶もそのことにハッと気付き、慌てて鎌田のことを説明する。
「あっ! えーと鎌田さんはその変身能力者で!」
「…ああ、なるほど、彼もそうなのか」
晶が鎌田の真の姿、半分人間、半分カマキリな蟷螂人の姿を見たとき、極力平静を装っていたが内心は相当驚いたものだ。
だが、ナオキは驚くほどあっさりその姿を受け入れた。彼自身が変身能力者か、あるいは変身能力に慣れているのだろうと晶は推測する。
そうしているうちに鎌田は晶たちの目の前に帰ってきた。服は水浸しだが、本人はいたって元気な様子である。
「本当に申し訳なかった! あんた怪我は?」
「いやー僕は大丈夫ですよ、怪我もないです。見ての通り頑丈なんで」
心から申し訳なさそうに謝罪するナオキに対して、鎌田は大したことないと身軽に全身を動かしてみせた。
「しかしあれを食らって無傷とは……凄いなその姿……」
「当たり所が良かったのと飛んだ先が池だったってのもありますけどね」
ナオキは軽く動く鎌田の姿をまじまじと見つめる。
全身を覆う薄緑の外骨格、大きな複眼に触角、背中の翅……
「……バッタ?」
「カマキリ!!」
デジャヴを感じる晶だった。
「ところであなたがたはどちらさま? 僕は
鎌田之博。しがない変身能力者です」
「あ、僕は
水野晶です」
「鎌田さんと水野君か。すまん、こっちの紹介が遅れた」
ナオキは離れた位置にいるロングコートの女性をチラリと見て、少し考えてから口を開く。
「俺は
遠藤直輝、あっちの女は
クロス。ええっと……この動物園の飼育員だ」
「え……ええっ!?」
「飼育員っ!?」
紹介そのものは衝撃的ではないにせよ、状況から考えればあきらかに予想の斜め上な言葉に晶と鎌田は目を丸くする。
直輝は斜め下を向いて何事かポツリと呟くと、ゴホンと大きく咳払いをして続ける。
「ああ、飼育員なんだ。それがちょっとした問題が起こってあの狼が檻から逃げ出しちまった。今それをなんとかしようとしてるとこだ」
「え、あれ本当にただの狼だったんですか? さっき二本脚で走ってたような…」
「いやあ気のせいだろう。でかいからな、普通に走ってもやたら高く見える」
「っていうかあんなナイフ刺しちゃっていいんですか? 普通麻酔銃とか…」
「ナイフみたいに見えるがあれは麻酔注射でな。生半可な麻酔銃じゃ寝ないんだアイツは」
「えー、でも」
「とにかく!!」
二人から次々出てくる疑問を、直輝は大声で打ち切る。
「今ここにいるのは危険だから一刻も早く園を出てほしい。謝罪は後でする」
「危険ってもう終わったんじゃ………えっ!?」
倒れていたはずの獣へと目を向けて晶は驚愕する。
延髄に深々と麻酔注射?を突き刺されたはずの狼?は、片膝をついて既に二本脚で立ち上がりかけていた。
「嘘…なんで…!?」
「言ったろ、アイツはあの程度じゃビクともしないんだ」
直後、立ち上がると同時に怒りの声と共にクロスへと爪を振りかざす狼男。やはり普通の狼とはとても思えない。
紙一重でかわすと同時に斬撃を加えるクロスの武器もまた、どう見ても大振りのナイフである。
「そんな…そんな相手にあの人は大丈夫なんですか!?」
「気にすんなクロスはプロだ。能力だってあるから問題ない」
決して小さくはない傷をまるで気に留めず、続けざまに振るわれる大振りの二撃、三撃。受ければ大怪我は免れないであろうそれを
クロスは一切無駄のない動きでくぐり、受け流し、後方へ跳んで距離をとる。跳躍と同時に振るわれた左腕から放たれた投げナイフが
狼男の太腿に突き刺さり追撃の足を止める。超高速の人間離れした攻防である。
「見ての通りあいつはクロスがなんとかするから、あんたらは一刻も早く退避してくれ。巻き込まれたらただじゃすまない」
「は、はあ………鎌田さん?」
晶は不安げに鎌田に目をやる。
しばらく黙っていた鎌田は、クロスと狼男の攻防を見ながらじっと考え込んでいたがやがて、よし、と小さく頷き。
「ちょっと手伝ってくる」
言うなり駆けだす鎌田。反応が遅れた直輝の制止の声は届かず。
「おっおい鎌田さん!」
「あっ僕も!」
「ってオイィ! 水野君まで!?」
鎌田に続いて駆けだす晶に直輝は慌てて追いすがる。
「ちょちょっと待てだから奴はマジ危ないんだって! 怪我じゃすまなくなるぞ!」
「鎌田さんはあれで強いから大丈夫です。僕は動物の心が視えるから何か力になれるかも」
「動物って…アイツのか!?」
「はい、だから攻撃かわすくらいならできると思います」
ふいに足を緩める直輝。離れていく晶の背を見ながらポツリと呟いた。
「…って…アイツは動物なのか……?」
晶はあの獣をただの狼ではなく、何度か出会ったことのあるキメラの一種だと思っていた。キメラとて動物だ。
真実は違う。狼男の名前は
ファング。変身能力であの姿をとっているが、れっきとした人間である。
晶はまだ、その事実を知らない。
<続く>
登場キャラクター
最終更新:2010年10月03日 20:52