鄭虔

鄭虔

691-759
盛唐の官人・儒者・画家。字は趨庭。鄭州滎陽(現在の開封市)の人。協律郎となり、八十篇もの著作をものにしたが、国史を私撰しているとの告発を受け、十年間流謫された。長安に戻ると玄宗はその才能を愛され、鄭虔のために広文館を開設して博士に任じたから、「鄭広文」と称された。詩作・画・書に優れ、自画賛を玄宗に献上すると「鄭虔三絶」と称賛され、著作郎に遷った。安禄山が叛乱をおこすと、捕らえられて洛陽に勾留され、水部郎中の偽官を受けたが、霊武の粛宗に情報を送った。唐が洛陽を回復すると張通王維とともに宣陽坊楊国忠の旧邸宅に幽閉されたが、崔円により三人とも壁画を描き、それによって死罪を免れて、台州司戸参軍事に左遷された。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百二 列伝第一百二十七 文芸中 鄭虔

参考文献

長廣敏雄訳注『歴代名画記2』(平凡社東洋文庫,1977年)

外部リンク

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E8%99%94

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最終更新:2023年11月17日 23:27
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