李萼

李萼 りがく

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盛唐の官人。字は伯高。本名は李華で、後に功績によって粛宗より名を賜った。趙の人。元徳秀の門弟子と号した。李丹叔李惟岳は族子にあたる。制科に挙され、南華県の県令となる。洪水となった他県の飢餓難民を救荒した。安史の乱がおきると、清河に籠もり、平原太守の顔真卿に援軍を求めて清河が固守できた。その後もたびたび顔真卿に献策し、塩の専売によって軍費を充実することを提案し、後に第五琦がこれを全国的に採用したことから唐の塩専売の隆盛をみた。廬州刺史に任じられた。広徳元年(763)吐蕃が長安を陥落させ、代宗が陝州に逃れると、行軍判官、中書舎人の王延昌とともに郭子儀に随従して参謀し、代宗のもとに急派させ、商州まで三人がそれぞれ軍を率いて分派した。張知節臧希譲高昇彭体盈らと合流し、長安回復の契機となった。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十四 列伝第一百一十九 卓行 元徳秀 李萼

外部リンク

李萼(唐安史之乱中著名使臣)_百度百科(中文)
https://baike.baidu.com/item/%E6%9D%8E%E8%90%BC/3931290

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最終更新:2025年07月30日 11:34
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