岐陽公主
790頃-837
中唐の公主。憲宗の第一皇女。母は
懿安皇后。穆宗の同母妹。元和八年(813)岐陽公主に封ぜられ、憲宗は当初
李吉甫の一族から駙馬を探したが、
杜佑の孫の
杜悰に嫁ぐことになった。杜悰が灃州刺史となると、公主も任地に赴いたが、通過する郡県では数百人の供員のために牛羊を殺して待ったが、公主が連れたのは二十人にも満たなかったという。杜悰が忠武軍節度使に赴任すると、正殿ではなく東の支屋で暮らした。病となり、帰京を望んだが、帰還途中の開成二年(837)十一月に汝州長橋駅で薨じた。子に
杜裔休・
杜孺休がいる。『新唐書』に伝がある他、杜悰の従兄弟
杜牧による墓誌銘「唐故岐陽公主墓誌銘」が『全唐文』巻七五六にある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年01月21日 15:36