李継侃
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晩唐の武将。
李茂貞の子。李侃・李継偘・李継続とも。李茂貞が昭宗一家を鳳翔に拉致すると、李茂貞は自身の地位安定化のため、李継侃と昭宗皇女の
平原公主との婚姻を求めた。
何皇后の反対を受けたものの、昭宗は押し切り、天復三年(903)正月、同姓婚を避けるため、父李茂貞の本姓の宋侃と称して、両者は結婚した。また同時に昭宗皇子の景王
李秘に宰相
蘇検の娘を娶せた。しかし昭宗が
朱全忠によって京師に戻されると、平原公主と離別させられた。天復六年(906)八月、李茂貞と蜀の
王建が同盟を結ぶと人質に出され、知彭州となった。
史料
『資治通鑑』巻第二百六十三 唐紀七十九 昭宗中之下 天復三年正月壬戌条
『資治通鑑』巻第二百六十四 唐紀八十 昭宗下之上 天復三年二月己丑条
『十国春秋』巻三十五 前蜀一 高袓本紀上 天復六年八月乙酉条
外部リンク
最終更新:2024年01月23日 09:51