何皇后
?-906
唐末の皇后。
昭宗の皇后。宣穆皇后、積善太后とも。梓州の人。昭宗が寿王であったに入侍し、
李裕・
哀帝・
平原公主を生んだ。昭宗が即位すると淑妃となり、乾寧三年(896)に
韓建によって昭宗とともに華州に巡狩した際に従い、皇后に冊立された。光化三年(900)宦官
劉季述のクーデターにより昭宗とともに東宮に幽閉されたが、翌年鎮定された。賊が平定されると、復位した。
李茂貞が昭宗を鳳翔に拉致すると従い、
朱全忠によって長安に連れ戻され、さらに洛陽に遷されると昭宗は弑逆された。
哀帝が即位すると皇太后となり、
積善宮に移ったから積善太后と号した。
蒋玄暉が
朱全忠のために九錫を迎えようとしたのを、
趙殷衡に誣告され、朱全忠の命で縊殺された。廃されて庶人とされたが、後唐になってから宣穆皇后と諡された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十七 列伝第二 后妃下 昭宗皇后何氏
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 昭宗積善皇后何氏
外部リンク
最終更新:2025年01月18日 01:33