蘇検 そけん
?-903
唐末の宰相(在任902-903)。蘇蒙の子、蘇迢の孫。字は聖用。中書舎人。
昭宗が鳳翔にあった時、宰相級の官人が逃れたため、天復二年(902)六月に工部侍郎、同中書門下平章事(宰相)となった。
李茂貞は唐室との結びつきを強めるため、自身の子
李継侃を昭宗の
平原公主に、昭宗皇子の
景王秘に蘇検の娘を娶せた。翌天復三年(903)二月に
盧光啓とともに
朱全忠によって殺害されたとも、
崔胤によって自害させられたとも、環州に流刑になったともいう。
本紀・列伝・史料
『新唐書』
巻十 本紀第十 昭宗 天復二年六月丙子条・天復三年二月丙子条
『新唐書』巻七十四上 表第十四上 宰相世系四上 蘇氏 武功蘇氏
『新唐書』
巻二百二十三下 列伝第一百四十八下 姦臣下 崔胤
『資治通鑑』巻二百六十三 唐紀七十九 昭宗 天復三年正月壬戌条
『資治通鑑』巻二百六十四 唐紀八十 昭宗 天復三年二月丙子条
外部リンク
最終更新:2025年01月28日 01:54