平原公主

平原公主

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晩唐の公主。昭宗の十一人の皇女の一人。母は何皇后李茂貞が昭宗一家を鳳翔に拉致すると、李茂貞は自身の地位安定化のため、自身の子李継侃と昭宗皇女の平原公主との婚姻を求めた。何皇后の反対を受けたものの、昭宗は押し切り、天復三年(903)正月、同姓婚を避けるため、李継侃は父李茂貞の本姓によって宋侃と称して、両者は結婚した。また同時に昭宗皇子の景王李秘に宰相蘇検の娘を娶せた。しかし翌月、昭宗が朱全忠によって長安に戻されると、平原公主と離別させられ、長安に戻った。以降のことは僖宗・昭宗の時の大乱のため、公主に関する資料は散逸して、詳細は不明となった。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 昭宗十一女 平原公主

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最終更新:2024年01月23日 10:07
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