何進滔 かしんとう
?-840
中唐の武将・藩鎮(第10代魏博節度使)。代々霊武にいたが、若くして魏に客人となり、魏博節度使
田弘正に仕えた。
田弘正が
王承宗を攻撃すると、猛攻によって軍功をあげ、
李師道の討伐でも軍功をあげて侍御史に任じられた。大和三年(829)魏博節度使内で軍乱がおきて節度使
史憲誠が殺されると、軍に推戴されたが、かえって史憲誠を殺した者を処刑して軍権を掌握し、留後となった。翌年、正式に魏博節度使に任じられ、検校司徒・同中書門下平章事となった。開成五年(840)卒すると、子の
何弘敬が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年08月05日 09:59