王弘立

王弘立 おうこうりつ

?-869
晩唐の叛将。龐勛の乱決起の首謀者の一人。咸通四年(863)対南詔防衛のため桂林戍軍都虞候として任地に赴任したが、咸通九年(868)任期満了しても戻されたなかったため許佶趙可立・王幼誠・劉景・傅寂・張行実孟敬文姚周とともに隊長を殺し、龐勛を推戴して叛乱を起こした。劉行及とともに龐勛の軍と合流し、淮南の将軍李湘を撃破した。さらに戴可師軍三万を奇襲して潰滅させて戴可師を打ち取った。さらに鹿塘を攻撃したが、沙陀の兵によって大敗し、身一つで逃れた。龐勛に処刑されるところを周重に弁護され、残兵数百人を率いて泗州攻撃を援護した。馬挙が泗州解囲すると、大敗して戦死した。

列伝・史料

『新唐書』巻一百四十八 列伝第七十三 康日知 承訓
『旧唐書』巻一百七十七 列伝第一百二十七 崔慎由 子彦曾
『資治通鑑』巻第二百五十一 唐紀六十七 懿宗中 咸通十年二月条、同年三月条

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年06月19日 10:05
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。