楊承和 ようしょうわ
?-835
中唐の宦官。長慶元年(821)右神策軍副使となり、冀行営都監押、深州諸道兵馬都監となった。宝暦二年(827)、
敬宗が
劉克明・
蘇佐明・
石定寛らに弑逆され、絳王
李悟を擁立して勾当軍国事とし、翌日即位させると、
王守澄・
梁守謙・
魏従簡とともに劉克明らを誅殺して、
文宗の擁立した。功によって上将軍となる。大和九年(835)
李宗閔を宰相に復帰するよう運動したことが問題となり、驩州に配流されることとなったが、公安県で死を賜った。
本紀・列伝
外部リンク
最終更新:2024年09月01日 00:40