李係

越王李係 りけい

?-762
盛唐の宗室。粛宗の第二皇子。母は孫宮人。本名は李儋。開元年間(713-741)に生まれ。皇太子(粛宗)の子であるから南陽郡王に封ぜられ、至徳二載(757)十二月、趙王に進封した。乾元二年(759)李光弼が唐軍の事実上の最高司令官となると、李光弼は王を司令官とするよう求めたから、李係は天下兵馬元帥となり、李光弼が副将となったが、実際には戦地に行かなかった。史思明が洛陽を陥落させると、李係は戦地への赴任を願ったが聴されなかった。翌年、越王に移封した。粛宗が重病となると、張皇后が宦官で権臣の李輔国の誅殺を太子(後の代宗)に図ったが、拒否したため、李係が担ぎ出されたが、失敗して張皇后とともに殺害された。子に武威郡王李建、興道郡王李逌、斉国公李逾がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 粛宗諸子 越王係
『旧唐書』巻一百一十六 列伝第六十六 粛宗代宗諸子 粛宗十三子 越王係

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最終更新:2024年09月01日 23:41
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