李振

李振 りしん

?-923
唐末・五代の官人。朱全忠の謀臣。字は興緒。潞州節度使李抱真の曾孫。金吾将軍から台州刺史となったが、浙東に盗賊が群居し、刺史の任にたることができず、帰る途中に汴に立ち寄り、朱全忠に仕えることとなった。天平軍節度副使となり、光化三年(900)、宦官劉季述昭宗を廃位しようとすると、その不可を述べ、昭宗が廃されて徳王李裕が即位させられると、昭宗側について諸侯に覇を唱えるべきと述べ、昭宗を復位させる契機となった。天祐二年(905)、朱全忠を扇動して宰相・高級官僚の大量虐殺を行った(白馬の禍)。朱全忠が朱友恭氏叔琮らに昭宗を弑逆させると、彼らを処断させた。後梁が成立すると検校司徒、殿中監、戸部尚書となる。後唐が成立すると族滅された。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。

列伝

『旧五代史』巻十八 梁書十八 列伝第八 李振
『新五代史』巻四十三 雑伝第三十一 李振

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最終更新:2024年09月14日 23:00
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