劉季述

劉季述 りゅうきじゅつ

?-901
唐末の宦官・権臣。劉行深の養子。僖宗昭宗の時に枢密使となり、乾寧二年(895)宰相崔胤の策謀によって景務修宋道弼の後任護軍中尉として、王仲先とともに神策左軍中尉に任じられた。光化三年(900)十一月、昭宗が酒によって左右を叱責するようになり、また宮中の陰謀を感じ取ったため、朱全忠と結んで昭宗を廃位しようとしたが、朱全忠の謀臣李振の反対により頓挫。神策右軍中尉の王仲先、枢密使の王彦範薛斉偓とともに長安の宦官単独での昭宗を廃位を策謀し、出動して昭宗を廃位させて、何皇后とともに少陽院に幽閉させ、徳王李裕を皇帝に即位させた。しかし宰相の崔胤を排除しきれず、かえって朱全忠の怒りを買ってしまった。翌年正月、崔胤・孫徳昭による昭宗復位をめざすクーデターにて、神策左軍にて王彦範とともに捕らえられ、昭宗の前に引き出されて撲殺され、三族皆殺しとなった。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 劉季述

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』劉季述
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%AD%A3%E8%BF%B0

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最終更新:2024年09月15日 23:59
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