九成宮
陝西省宝鶏市麟遊県に位置した離宮。もとは隋の仁寿宮で、開皇十三年(593)
楊素を総監とし、宇文愷を検校将作大匠、
封徳彝を土木監として着工され、同十五年(595)竣工した。隋末に廃棄されたが、
太宗が貞観五年(631)に増築、九成宮と改称した。太宗はここに五度行幸した。永徽二年に万年宮に改称したが、乾封二年に九成宮に戻された。翌年将作大匠の
閻立徳によって改築されると、
高宗は「万年宮銘並序碑」をつくらせた。永徽二年(651)九月八日に万年宮と改めたが、乾封二年(667)に九成宮に戻した。高宗も八度行幸したが、
武則天は都を東都洛陽に移し、
玄宗は驪山に温泉宮(
華清宮)を建てたため、九成宮はかえりみられなくなって次第に荒れ、開成元年(836)洪水により破壊された。
欧陽詢による「九成宮醴泉銘」で知られる。
史料
『唐会要』巻三十 九成宮
最終更新:2024年11月23日 22:34