紇干承基

紇干承基 こつかんしょうし

604-656
初唐の武将。字は嗣先。もとは対突厥のため北辺にいたが、皇太子李承乾の衛士となった。皇太子に命じられて張師政とともに百名を率いて李泰の暗殺をはかったが失敗。また于志寧の暗殺も命じられたが、于志寧のあまりの質素ぶりに感銘を受けて殺さなかった。李祐が叛くと、皇太子より遠地の李祐よりも自分の方が謀反に有利であると述べた。李祐に連座して下獄すると、死罪相当を免れるため皇太子を告発。その功により祐川府折衝都尉に任じられ、平棘県公に封ぜられた。高宗の時代に広州番禺府折衝都尉となり、任地で卒した。

列伝

『新唐書』巻八十 列伝第五 太宗諸子 常山愍王承乾
『新唐書』巻一百四 列伝第二十九 于志寧
「唐番禺府折衝都尉平棘県開国公紇干承基墓誌銘并序」

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最終更新:2024年10月28日 02:53
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