武攸宜

武攸宜 ぶゆうぎ

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武周の外戚。武惟良の子。武攸緒の兄。武則天の甥。天授元年(690)九月、武則天の縁戚であるため、建安郡王に封ぜられた。同州刺史となり、万歳通天元年(696)、契丹の李尽忠・孫万栄が周に背くと清辺道行軍大総管となり、契丹を討伐することとなり、武則天は自ら白馬寺で餞別した。戦況は不利で、参謀の陳子昂の進言を聴くこともなく、功績がなく撤退し。中宗が復辟すると、息国公に降封された。景龍年間(707-710)、右羽林に遷り、卒した。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百六 列伝第一百三十一 外戚 武士彠 攸宜

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最終更新:2024年11月22日 00:27
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