武承嗣 ぶしょうし
649-698
初唐・武周の外戚・宰相(在任684、685、689-692、697)。
武元爽の子。
武士彠の孫。
武承業の兄。
武則天の甥。父が武則天の怒りに触れて振州(海南島)に配流となると従っていたが、咸亨五年(674)武士彠の周国公の爵位に継承する者がいなかったから、武則天によって呼び戻され、周国公を襲爵し、尚衣奉御に任じられ、さらに宗正卿となった。光宅元年(684)閏五月、礼部尚書、太常卿、同中書門下三品(宰相)となったが、八月に礼部尚書を罷免された。垂拱元年(685)二月、同鳳閣鸞台三品(宰相)となるが、三月に罷免された。載初元年(689)三月、納言(宰相)となった。武則天が即位して武周が成立すると、天授元年(690)魏王に封ぜられた。翌年、
張嘉福をそそのかして、自身を皇太子とするよう請願を企てたが、長寿元年(692)八月、
李昭徳が、武承嗣はすでに親王となっており、宰相のままでは権勢が非常に重いとして、宰相を罷免されて特進となった。聖暦元年(698)
中宗が皇太子に復帰すると、皇太子になる見込みがなくなったため、憤死した。子に
武延基・
武延義・
武延秀がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2024年12月08日 18:03