楊汪

楊汪 ようおう

?-735
盛唐の官人。監察御史。開元十九年(731)巂州都督の張審素が討ち取った首級の水増しや、庸兵を私的にしたことを告発されたため、玄宗の命を受けて調査にあたったが、巂州総管の董堂礼が張審素の無実を訴えて楊汪を兵七百で包囲した。救援によって董堂礼は斬られ、張審素の罪が事実であるとして、張審素を斬刑とし、その一家を没入した。後に名を楊万頃と改め、殿中侍御史となったが、開元二十三年(735)三月、張審素の子の張瑝張琇魏王池で殺害された。

列伝・史料

『新唐書』巻一百九十五 列伝第一百二十 孝友 張琇
『旧唐書』巻八 紀第八 玄宗上 開元二十三年三月丁卯条

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最終更新:2025年06月16日 02:12
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