張琇 ちょうしゅう
725-735
盛唐の人。蒲州解県(山西省運城市)の人。
張審素の子。
張瑝の弟。父は巂州都督であったが、嫌疑により監察御史の
楊汪の審問を受け、有罪として処刑された。兄張瑝とともに嶺南に流されたが、兄とともに脱走して
魏王池で楊汪を襲撃・殺害した。その場を逃亡して告発者を殺害しようとしたが、官吏に捕縛された。
張九齢は助命の意見を述べたが、
裴耀卿の意見が
玄宗に採用され、二人共処刑された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年06月17日 12:36