李公度 りこうど
?-?
中唐の人。淄青節度使
李師古の属吏・側近で、李師古が死の床で後継者の選定を
高沐とともに委ねられ、
李師道を擁立した。しかし高沐・
郭昈・
郭航とともに李師道を諌めたが聞き入れられなかった。元和十三年(818)淄青節度使が朝廷の討伐を受けると、李英曇とともに、朝廷の和議の条件として三州割譲と
李弘方の朝廷入侍を提案して一旦受け入れたが、李師道が反故にしたため諸軍の一斉討伐を受けて各地で大敗し、李公度は捕らえられたが、
劉悟に招かれて義成節度府の属吏となった。
列伝
最終更新:2025年08月28日 15:11