沈伯儀

沈伯儀 しんはくぎ

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初唐・武周の官人・儒者。湖州呉興の人。太子右諭徳となる。垂拱元年(685)に円丘・方丘・南郊・明堂の厳配(父祖)の礼について議論がおこった際に、鄭玄の説によって高祖円丘・方沢に、太宗を南北の郊に、高宗を五天帝に配侑するよう説いたが、それぞれに併祀するよう説いた元万頃范履冰の説が受け入れられ、沈伯儀の説は退けられた。国子祭酒・修文館学士を歴任した。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十九 列伝第一百二十四 儒学中 沈伯儀

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 沈伯儀(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%B2%88%E4%BC%AF%E5%84%80

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最終更新:2025年10月13日 22:48
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