孫平子

孫平子 そんへいし

?-717頃
盛唐の儒者。河南伊闕県の人。開元五年(717)太廟の四室が崩れ、それでも玄宗が洛陽に行幸しようとすると、上書して中宗に中興の功績があり、また睿宗の兄であるから、神位(位牌)を太廟に戻すよう主張した。それに対して太常博士の陳貞節蘇献馮宗が中宗を太廟から外すよう主張し、そのため双方の議論を行なうことになると、孫平子は経典を引用して整然と申し立てたため、蘇献は孫平子を屈服させることができず、宰相蘇頲は蘇献の従祖兄であったため、孫平子は貶されて康州都城県の尉となり、任地でまもなく卒した。

列伝・史料

『新唐書』巻二百 列伝第一百二十五 儒学下 陳貞節
『通典』巻第五十一 礼十一 沿革十一 吉礼十

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最終更新:2025年10月29日 00:58
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