陳貞節 ちんていせつ
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盛唐の官人・儒者。潁川郡(現、河南省禹州市)の人。開元年間(713-741)初頭、右拾遺となった。
隠太子・
章懐太子・
懿徳太子・
節愍太子の四太子に陵廟を建立されると、その祭祀に反対した。開元五年(717)
太廟の四室が崩れると、
孫平子が上書して
中宗に中興の功績があり、また
睿宗の兄であるから、神位(位牌)を太廟に戻すよう主張すると、陳貞節・
蘇献・
馮宗は中宗を太廟から外すよう主張した。開元六年(718)に
明堂を撤去して
乾元殿に戻すよう上書し、裁可された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年10月29日 01:13