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鍾伝

鍾伝 しょうでん

854-906
唐末の群雄。洪州高安県(江西省高安市)の人。鍾匡時鍾匡範の父。もとは商人であったが、王仙芝が江南を掠奪すると、推されて長となり、一万人が集まり、高安鎮撫使を自称した。撫州に入って撫州刺史となり、中和二年(882)、江西観察使の高茂卿を追放して、洪州を領有した。朝廷より江西団練使、鎮南節度使・検校太保・中書令、江西団練使に任じられ、潁川郡王、後に南平王に封ぜられた。撫州の危全諷が叛いたが、降伏させて撫州刺史とし、危仔倡を信州刺史、鍾匡時を袁州刺史、彭玕を吉州刺史とした。天祐三年(906)卒。子の鍾匡時が継いだが、間もなく楊渥に滅ぼされた。『新唐書』『旧五代史』『新五代史』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十 列伝第一百一十五 鍾伝
『旧五代史』巻十七 梁書十七 列伝第七 鍾伝
『新五代史』巻四十一 雑伝第二十九 鍾伝

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』鍾伝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%BE%E4%BC%9D

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最終更新:2026年07月13日 13:19
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