王重盈 おうちょうえい
?-895
唐末の武将・藩鎮・群雄。太原祁県(山西省祁県)の人。王縦の子。王重簡の弟、
王重栄の兄。
王珙・
王瑤の父。河中軍の将校であった父の功により軍人となり、軍では弟の王重栄と共に勇猛で知られた。乾符年間(874-879)汾州刺史となり、広明二年(881)陝虢観察使に任じられた。中和三年(883)陝虢節度使となる。光啓三年(887)弟の河中節度使の王重栄が
常行儒に軍乱を起こされて殺害されると、王重盈を兵馬留後に推戴した。
僖宗により河中節度使の継任を命じられ、子の
王珙を権知陝虢留後とした。王重盈が河中に到着すると常行儒を殺害して軍権を掌握した。乾寧二年(895)卒。王重簡の子の
王珂が継承した。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年07月29日 22:45