趙匡明 ちょうきょうめい
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唐末・五代の武将・藩鎮。字は賛尭。忠義軍節度使
趙徳諲の子。
趙匡凝の弟。軍功によって繍州・峡州の二州の刺史となる。
成汭が滅亡すると、兄で忠義軍節度使の趙匡凝が趙匡明を荊南節度留後とするよう上表したが、
雷彦恭の兵が先にその城を占拠してしまったため、趙匡明は兵で駆逐した。
天祐二年(905)秋、
朱全忠は
楊師厚を派遣して荊南を攻撃したため、一族をあげて蜀に逃れ、
王建は丁重な待遇を行った。王建が皇帝を称すると大理卿、工部尚書に任じられた。子に趙承規がいる。『旧五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻十七 梁書十七 列伝第七 趙匡凝 匡明
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最終更新:2026年08月30日 22:31