雷彦恭 らいげんきょう
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唐末・五代の藩鎮。武貞軍節度使
雷満の子。
雷彦威の弟。天復三年(903)忠義節度使の
趙匡凝と結んで兄の雷彦威を追放して、江陵に拠り、武貞軍節度使全権節度使となったが、間もなく趙匡凝と
趙匡明に江陵を追い出され、淮南節度使
楊行密に従った。開平二年(908)五月、
馬殷の将軍秦彦暉軍の攻撃を受け、朗州は陥落。淮南で死んだとも、軽舟に乗って弘農都城広陵に逃れたとも、捕らえられたとも、江に沈んで死んだとも、楚軍に殺されたともいわれる。
列伝・史料
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最終更新:2026年08月23日 15:00