楊収 ようしゅう
816-870
晩唐の宰相(任863-866)。字は蔵之。
楊遺直の三子。母は長孫氏。
楊発・
楊仮の異母弟、
楊厳の同母兄。七歳で父を喪い、母に養育された。進士に及第し、
杜悰・
馬植の引き立てで地方官を歴任。監察御史・太常博士・侍御史・長安県令となり、
懿宗が即位すると中書舎人・翰林学士承旨に抜擢され、咸通四年(863)五月、同中書門下平章事(宰相)となり、十月には中書侍郎となった。南蛮対策が功を奏し、その功績によって尚書右僕射に昇進し、晋陽県男に封ぜられた。神策護軍中尉
楊玄价に賄賂を持ちかけられたが、断ったため讒言され、咸通七年(866)十月に宰相を罷免されて宣歙観察使となった。さらに
韋保衡によって
厳譔より賄賂を受け取っていたことを問題視され、端州司馬に貶され、さらに驩州に流される途中で死を賜った。子に
楊鉅・
楊鏻がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月13日 15:48