韋保衡 いほこう
?-873
晩唐の駙馬・宰相(任870-873)。字は蘊用。京兆の人で、西眷韋氏の出身。その世系は
韋懐質→韋希緘→韋澹→韋淡→韋象→韋元貞→韋愨→韋保衡である。弟に
韋保乂がいる。咸通五年(864)進士に及第し、起居郎となる。咸通十年(869)
衛国文懿公主を娶り、駙馬都尉となる。公主は
懿宗の寵姫
郭淑妃から生まれ、懿宗に偏愛されたため、韋保衡への待遇は格別なものとなり、翰林学士承旨を経て、咸通十一年(870)四月、兵部侍郎、同中書門下平章事(宰相)となり、さらに門下侍郎・尚書右僕射に昇進した。宰相
楊収・
路巌を失脚させて死に追いやり、また座主(進士の師)の
王鐸、同榜の
于籍・
蕭遘も排斥して権勢を振るった。公主が薨じた後も懿宗の寵遇は止まず、咸通十三年(872)十一月に司空(任872-873)となった。しかし咸通十四年(873)
僖宗が即位すると、司徒(任873)に昇進したが、同年九月、失脚して賀州刺史に貶され、死を賜った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年10月14日 00:07