李元吉

李元吉 りげんきつ

603-626
初唐の宗室・宰相(在任621-626)。初代皇帝高祖の第4子。母は太穆竇皇后。李世民(後の太宗)・李玄霸の弟。諡は刺。隋末、父が挙兵したさい、太原郡守を授けられて唐の建国に活躍し、618(武徳元)年、斉王に封ぜられた。驕逸の行動が多く、素行がおさまらなかったが、621(武徳4)司空となり宰相の座につき、李世民の功業をねたみ、兄の皇太子李建成とともに、高祖の後宮の尹徳妃張婕妤らとむすんで李世民讒したので、高祖もこれに動かされて李世民をうとんじ、李元吉を寵愛した。李建成・李元吉と李世民との関係の悪化は、626(武徳9)年6月4日(陽暦7月2日)、玄武門の変として爆発し、李元吉は殺されて反逆者とされ、その5子の梁郡王李承業、漁陽王李承鸞、普安王李承漿、江夏 王李承裕、義陽王李承度も殺された。李元吉はそのとき24歳。李世民は李元吉を殺し、その妻を妃として不評をかっているが、642(貞観16)年、李元吉を巣王に追封し、その子曹王李明を李元吉の後継者としてたてさせた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻七十九 列伝第四 高祖諸子 巣剌王元吉
『旧唐書』巻六十四 列伝第十四 高祖二十二子 巣王元吉

参考文献

『アジア歴史事典9』(平凡社、1962年4月)

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最終更新:2024年10月17日 21:22
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