李鋋

李鋋 りえん

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唐末の武将。黔中節度使。はじめ蜀の陳敬瑄の部将で、黄巣を鞏咸とともに攻撃したものの、たびたび敗れた。保鑾都将となり、光啓二年(886)三月、楊守亮らとともに邠州軍を鳳州で破った。同年六月、李茂貞らとともに大唐峰で朱玫の部将王行瑜と戦った。光啓三年(887)正月、検校司空・黔州刺史・黔中節度観察使となり、文徳元年(888)二月、検校司徒・平章事となる。景福二年(893)三月、潤州刺史、鎮海軍節度使に任じられるも、江南の地は孫儒楊行密の争乱の地であって、唐の実効支配は及ばなかったから治所に赴くことができず、朝廷は実効支配していた銭鏐を鎮海軍節度使とした。

列伝・史料

『新登場』巻一百八十九 列伝第一百一十四 高仁厚
『旧唐書』巻十九下 本紀第十九下 僖宗 光啓二年三月戊辰条・六月己酉朔条、光啓三年正月乙亥朔条、文徳元年二月戊子条
『旧唐書』巻二十上 本紀第二十上 昭宗 景福二年三月庚子条
『旧五代史』巻一百三十三 世襲列伝第二 錢鏐

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最終更新:2024年04月26日 08:31
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