李立節
?-757
唐代の武将。
安禄山の子飼いの部将。安禄山が反するとそれに参加。
史思明・
蔡希徳とともに饒陽を攻めたが勝てず、軍を引いて石邑を攻めた。しかし
張奉璋が固守したため、
郭子儀・
李光弼と九門で戦闘となり、李光弼の部将
渾瑊に左肩を射抜かれて射殺されたというが、これは唐側の事実誤認であったらしく、その後の活動記録がある。至徳二載(757)、史思明が唐に降伏しようとした際、
安慶緒によって史思明のもとに派遣されたが、捕らえられて
安守忠とともに斬られた。
最終更新:2023年03月30日 18:47