賈賁

賈賁 かほん

?-756
盛唐の官人。単父県の尉。閬州刺史の賈璿の子。天宝十四載(755)安禄山が叛乱すると、嗣呉王李祗の兵と称して宋州を攻撃して、安禄山の将張通晤を襄邑で打ち破り、張通晤は頓丘令の盧韺に殺害された。賈賁は豪傑を募集して義兵を挙げ、緒戦で迎撃を行い、軍を雍丘に進めて張巡と合流し、二千の兵力を得た。雍丘令の令狐潮が城ごと降伏しようとしたが、民吏百人あまりが命令に従わず、令狐潮が逃れると賈賁が代わりに城に迎えられ、令狐潮の妻子を城壁の上で磔にして殺し、雍丘を守備した。李祗によって監察御史を授けられた。数日して賊軍が来攻したため迎撃したが、戦死した。

列伝

『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 張巡

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 賈賁(中文)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%88%E8%B3%81

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年08月12日 23:42
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。