賈賁 かほん
?-756
盛唐の官人。単父県の尉。閬州刺史の賈璿の子。天宝十四載(755)
安禄山が叛乱すると、嗣呉王
李祗の兵と称して宋州を攻撃して、安禄山の将
張通晤を襄邑で打ち破り、張通晤は頓丘令の
盧韺に殺害された。賈賁は豪傑を募集して義兵を挙げ、緒戦で迎撃を行い、軍を雍丘に進めて
張巡と合流し、二千の兵力を得た。雍丘令の
令狐潮が城ごと降伏しようとしたが、民吏百人あまりが命令に従わず、令狐潮が逃れると賈賁が代わりに城に迎えられ、令狐潮の妻子を城壁の上で磔にして殺し、雍丘を守備した。李祗によって監察御史を授けられた。数日して賊軍が来攻したため迎撃したが、戦死した。
列伝
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最終更新:2025年08月12日 23:42