尚衡

尚衡

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唐代の武将・藩鎮。濮陽の人。無官であったが、天宝十四年(755)安禄山が叛乱すると、兵を挙げてこれを迎撃した。その部下に王栖曜がいる。汴州で安禄山の将李廷望と戦った。また包囲された張巡の救援に向かうべく彭城に至ったたが、救援の不可を知って軍を停止させた。鄆州刺史となり、乾元二年(758)三月に徐州刺史、亳潁等州節度使に任じられた。四月には青州刺史、青淄密登萊沂海等州節度使に任じられた。上元二年(761)四月に史朝義の軍を破り、斬首五千あまりを得た。後に御史大夫となり、宝応元年(762)九月、回紇の登里可汗が史朝義にそそのかされて唐に軍を向けた際に、宣慰のため派遣された。後に至徳功臣二百六十五人の一人に数えられ、その肖像は凌煙閣に祀られた。

史料

『新唐書』巻一百九十一 列伝第一百一十六 忠義上 李憕 彭
『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 張巡
『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 南霽雲
『旧唐書』巻十 本紀第十 粛宗 乾元二年三月辛卯条・四月甲辰条、上元二年四月己未条
『旧唐書』巻十一 本紀第十一 代宗 宝応元年九月戊戌条
『資治通鑑』巻二百一十八 唐紀三十四 粛宗 至徳元載正月条

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最終更新:2023年03月22日 00:40
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