張通儒 ちょうつうじゅ
?-761
盛唐の武将・叛将。大燕の宰相(在任756-761)。
張之輔の子。
中宗の宰相
張仁愿の孫。
張通晤・
張通幽の兄。
安禄山の引き立てで幕僚となり、安禄山が挙兵すると腹心となった。756年安禄山が皇帝となると、右相に任じられた。
安慶緒が安禄山を殺して即位すると、長安の防御を任されたが、
僕固懐恩と戦って敗れ、敗残兵とともに鄴城に敗走した。燕政権内では権力を巡って争い、人望があった
蔡希徳を処刑した。安慶緒と
史思明が対立すると、史思明への謝罪を求めた。史思明が安慶緒を殺すと、幽州の
史朝清の補佐とさせられた。史朝清が
史朝義に誘引されて殺されると、兵を率いて城中で戦ったが、数日したが勝てず、死んだ。
表・列伝
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最終更新:2025年08月01日 02:00