高秀巌
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唐代の武将・叛将。朔方・河東の将。天宝八載(749)、
哥舒翰の指揮下で
張守瑜とともに吐蕃の堅城・石堡城を攻撃したが抜けず、哥舒翰が怒って斬ろうとしたため、三日の猶予を願い、石堡城を強襲して陥落させたが、戦死者数万の大損害を受けた。安史の乱が起こると
安禄山に従い、大同を守った。天宝十四載(755)十二月、河曲で
郭子儀と戦うも敗れた。至徳二載(757)に
史思明・
蔡希徳とともに十万の兵で太原の
李光弼を攻撃するも陥落できなかった。
安慶緒の時代に河東節度使に任じられた。
史思明が唐に投降すると、河東の兵を率いて唐に帰順し、雲中太守に任じられた。
本紀・列伝
最終更新:2023年04月14日 22:30