張通幽

張通幽 ちょうつうゆう

?-757
盛唐の官人。名を後に張知微に改める。張之輔の子。中宗の宰相張仁愿の孫。張通儒張通晤の弟。内丘県令。天宝十四載(755)安禄山が蜂起すると、顔杲卿袁履謙賈深とともに安禄山に対する抵抗を企てた。翟万徳・賈深・顔泉明とともに李欽湊の首、高邈何千年の身柄を長安に護送したが、兄張通儒が反乱軍にいたため、兄の身柄の安全を功によって変えようと、これらの身柄を王承業と図って奪い、王承業が報償された。顔杲卿の功績を顔真卿が上表すると事実が発覚し、普安太守となっていたが、上皇玄宗に杖殺された。

列伝

『新唐書』巻七十二下 表第十二下 宰相世系二下 張氏 馮翊張氏
『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 顔杲卿

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最終更新:2025年08月01日 02:01
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