薛景仙
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唐代の官人。武彊公。薛承禄の子。陳倉県令で、
楊貴妃が殺されたことを聞いて心中をはかった
虢国夫人を逮捕したが、虢国夫人は間もなく死んだ。至徳元載(756)七月に扶風太守に任じられ、七月に
安禄山の攻撃を受けたが、撃退した。太子賓客となり、乾元二年(759)三年に鳳翔尹に任じられた。広徳年間(763-764)に吐蕃が入寇してきたため、南山五渓谷防禦使に任じられたが、勝てなかった。戸部尚書となり、永泰・大暦年間(765-779)に吐蕃が使者を派遣してきたから答礼に行った。官位は左羽林軍大将軍、検校戸部尚書、御史大夫に昇り、卒して忠烈と諡された。後に至徳功臣二百六十五人の一人に数えられ、その肖像は凌煙閣に祀られた。
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最終更新:2023年04月09日 23:03