斉克譲

斉克譲

?-886
唐末の武将・藩鎮。斉志英の子、斉栄の孫。斉克倹の従兄弟。左金吾衛大将軍・右街使であったが、乾符三年(877)に検校兵部尚書、兼兗沂海等州節度使に任じられた。広明元年(880)汝州に駐屯したが、諸藩鎮の薛能支詳が殺害・追放などの下剋上を聞いて、兗州に戻った。黄巣が長安に迫ると潼関の外で守備したが、敗れて潼関内に逃げた。光啓元年(885)検校司徒、兼定州刺史、御史大夫、充義武節度観察使、北平軍等使に任じられたが、翌年娘婿の朱瑾に逐われた。

列伝・史料

『新唐書』巻九 本紀第九 僖宗 光啓二年条
『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『旧唐書』巻十九下 本紀第十九下 僖宗 乾符三年春正月己卯朔条、光啓元年五月条、

外部リンク

维基百科,自由的百科全书 齊克讓(中文)
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最終更新:2023年05月29日 11:47
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