東風谷さなえのロックバンド! 発心

「さあ、楽器店に着いたわ! 早速中に入りましょう、さなえちゃん!」

「あう、行動が早いですよ~」

土手沿いの原っぱで、話をしていた私たち。ぱちゅりーちゃんは、ただ私の決意を聞いてくれました。
吹き抜ける風が気持ちよかった、さっきまで見ていた同じ景色が、全く別の景色の様に感じられました。…が、いい事ばかりではありません。事情はどうあれ、中抜けをしてしまったのです。ああ、無遅刻無欠席が私のとりえだったのに!
どの顔を下げて学園に戻ればいいかぱちゅりーちゃんに提案すると、そもそも戻るという案を却下されてしまいました。
そこで学園を抜け出してしまい、今更学園には戻りづらい私たちはサボりがてらに町の駅前にある楽器店まで足を運んだというわけですが…。

「やっぱり、怖いですよ。ただでさえ制服なのに、馬鹿にされないかな…」

「大丈夫。そんな事で馬鹿にするような店だったら、とっくの前に潰れてるでしょう。さあっ、行くわよ! 何事も気分転換が大事!」

特に何も買うものも無く、冷やかしにお店に入って、悪い気がするなあ…。ぱちゅりーちゃんが言うには『冷やかしを受け入れる事が店の利益に繋がるのだからいいんじゃない』との事ですが。
何でも、この楽器店はぱちゅりーちゃんのいきつけと聞きました。町にある楽器店はこの店くらいですし、他の店に行くのであれば電車を使わなければならない事から消去法でこのお店を多様する事にはなりますが…。

「なんというか、その。私ずっと走ってたから、汗臭いし。制服で学園を特定されたら、また何か言われるし…」

「何よ、そんな事を言っていたらどんな店にも入れないじゃない! ほら、行く、行く」

「うわあ、引っ張らないでくださいぱちゅりーちゃん~!」

無理やり手を引っ張られて、とうとう私は楽器店の中へ入店してしまいました。ああ、なんという! …入ってしまったものは仕方ありません。様子を、伺う事にしましょう。
初めて入る楽器店の様子は、なんだかごちゃごちゃしていて色々なものがあるな~、と思いました。楽器店の独特の匂いというか、その様なものを感じます。言葉では、上手く表せないですけど。
平日のお昼ごろの時間帯だからでしょうか、思っていたよりも人がいなくイメージと打って変わってガラガラです。
店員さんが私たちの入店に気が付いた様で、『いらっしゃいませ!』と大声で声をかけられてしまいました。私は驚きひるんでしまい、思わず足をすくませてしまったのですがぱちゅりーちゃんが抱き止めてくれたため特に損害は起こりませんでした。
うう、恥ずかしい…。

「全く。それじゃあ、早速楽器を見回っていきましょうか。どうする? 先にキーボードやシンセを見る? それとも、私の用事を先にしていいかな」

「シンセ? …ああ、ぱちゅりーちゃんの用事を優先していいよ。ぱちゅりーちゃん、何か買うのですか?」

「ううん、買いはしないけど。折角楽器店に来たのですもの、楽しまないと」

ぱちゅりーちゃんは意気揚々と手前にごちゃごちゃとある『ギターの弦』やら『黒く長いジャック』のコーナーを過ぎて、店の地下へと降りていきました。
地下に降りる際、階段の壁に『メンバー募集中!』と書かれたたくさんの張り紙が目に映りました。
なんだろ、これ?

「そのまんま、募集の張り紙よ。他にも、バンドの宣伝の張り紙もあるわね、その宣伝紙を『フライヤー』と言うの。店の人に言えば、貼って貰えるのよ」

「へ、へえ」

私が何か質問をする前に、ぱちゅりーちゃんが疑問を答えてくれました。
うーん、助かるなあ。ぱちゅりーちゃんの発言は私の疑問の的を得ていて、凄いなあ。

「ふう。やっぱりなんだかんだで興奮するわね、楽器に囲まれているというのは」

地下を降りた所には、ズラリと沢山のギターが並んでいました! 部屋の右隅だけは椅子が2つほど並んでいてある程度スペースがありますが、それ以外は足の踏み場が見えないくらいに!
それはもう、密集と呼んでも差し支えないくらいです! 歩く場所よりも圧倒的に楽器が並んでいます。適当にギターに触り、価格を覗いたら『198,000』と書かれてあったのでギョッとあとずさりをしてしまいました。
地震とか起こったら、どうなるんだろう?

「あはは! さなえちゃん、本当に反応が初々しいわね! さなえちゃんには失礼だけど、見てて飽きないわ~」

「…ぷんっ」

なんでそんな事を言うのだろう! 私はぱちゅりーちゃんに顔を背けて、精一杯の反抗を示しました!
ぱちゅりーちゃんは後ろから『ごめん、ごめん』と声を掛けて肩を叩いてきます。
もう、次は無いですよ!

「ふふふ、ごめんってば。なんか良いわね、私まで新鮮な気持ちになる。初めて楽器の匂いが充満した部屋に来たときは、興奮したわね! 今と比例できないくらいに!
ちょっとマンネリが続いていたけど、まあ。今日はなんだか疲れずに一日を終えられそうな気がする」

「疲れる?」

「人目によ。普段は人が多いから、移動にも苦労するし、試し弾きにもなんだか気力を使うの。店を出たときには既にクタクタだなんてザラにあるわ」

ぱちゅりーちゃんは何やら黒いギターをいじりながら私に喋りかけます。ギターを一旦置き、ぱちゅりーちゃんは部屋の奥にいる店員さんに『試奏していいですか!』と声を掛けました。店員さんははいと呼び掛けに答え、誰もいないカウンターから先ほど見た黒いジャックと何やら小さい箱を持ってぱちゅりーちゃんの方へと向かってきます。

「お客様、試奏をご希望されたのはどのギターでしょうか?」

「むきゅ。このアイバニースのストラトをお願い。あと、申し訳ないのだけれどアンプへの接続は私がやるわ」

「かしこまりました。アンプは部屋の隅にあるものをお使いください。こちら、ピックになります、ごゆっくりどうぞ!」

店員さんは黒いジャックと箱をぱちゅりーちゃんに渡すと、再び部屋の奥に戻り待機しました。ぱちゅりーちゃんはギターのネック? をむんずと掴み、隅にある椅子の前まで移動します。
ぱちゅりーちゃんは椅子前のスピーカーにの上に箱を置き、椅子に座りギターを膝に置きました。そして、私に話しかけてきます。

「いい? これから説明を始めるわ、大切だからよく見ておいて。
もちろん、この一回で覚える必要は無い。実際にさなえちゃんが接続をするときは私が手助けをするわ。けれど、本当に大切だから。『楽器を長持ち』させたいのなら、良く見ておくことね」

何の説明だろうと疑問に思っていたら、接続のことについてらしいです。そりゃそうですよね、店員さんにわざわざ受け取ったのですものね。恥ずかしい…。

「器具を説明するわ。まずはこの黒いチューブみたいなの、よくみると両端に太い突起がついているでしょう?」

「…あ、本当だ! これじゃあ、接続できないんじゃあ?」

「ふふ。普通だったら、そう思うわよね。でも、ギターなどの楽器やスピーカーには両方入れるジャックが付いているから大丈夫よ。これを、『シールド』というの」

「へえ、シールド…。盾ですか?」

「さあ? 由来は、興味ないの。まあ、このチューブの名称をシールドだと覚えていれば差し支えないでしょう」

「なるほど…。それにしても、太いですねえこのジャック!」

「…ふふ。初めてシールドを見た人は、口を揃えてそう言うわ。『太い!』『でっけえ!』って、私もそうだった。こんなに太くて、果たしてスピーカーや楽器に入るのかって? それを店員さんに尋ねたら、笑われてしまったわ」

ぱちゅりーちゃんはやや俯きながら喋ります。ぱちゅりーちゃんにもそんな恥ずかしい失敗があったんだ、意外だなあ…。

「誰しも、経験する道よ。次に、そうね。先ほど私は『スピーカー』と言っていたけれど、このスピーカーを『アンプ』というの。聞いたこと、ないかしら?」

「…ああ、なんか漫画や雑誌でよく使われていたような気がします!」

「その通り。響きが格好よくて覚えやすいからね、何気ないスピーカーの事すらをアンプと呼ぶ人もいるわ。全っ然、間違いだけれどね。
そして、最後に楽器にシールドを挿す場所。どこか、わかる?」

「…うーん」

ぱちゅりーちゃんの膝にあるギターを見回します。なんだかギターのボディに2つほどツマミがありますが、明らかに挿す所ではありません。鉄の棒もささっていますが、穴が小さいし違うでしょう…。
他にそれらしき所はネジなどのボルトらしい所がありましたが、よくわかりません…。

「すみません、わからないです」

「謝る必要はないわ。さなえちゃんがちょっと指を入れた、このボルトのところ。ここが、ギターの差込口よ」

「…ええ!」

やっぱり、そうだったのか! 私は軽いカルチャーショックを受けました。
だって、なんというか、

「楽器を作っている人って、資源を大切にしているというか、…リサイクルですねえ」

「…あのねえ。決して、このギターを作るに当たって、資源が足りない訳では無いと思うわ。そういうデザインなの、確かにみずぼらしく見えるかも知れないけれど、決っっっっしてボロっちいとかそういうのでは無いわ」

ぱちゅりーちゃんに呆れられてしまいました。
…なんなんですか! ぱちゅりーちゃんが探せっていうから、それなりに見て探したのに!
そんな感想を持たれたくないなら、最初から言って欲しいですよ、恥をかいたのはこっちなのに!

「あっはっは、ごめんね、ごめん。それじゃあ、早速接続してみましょう。ここからが、大切。まず、ギターとアンプをシールドで繋ぎます」

ぱちゅりーちゃんがシールドを手に持ってギターとアンプに接続します。それぞれの穴に、きつきつと言う事もなくしっかりすっぽりとはまりました。

「そして、アンプのツマミが全て『0』なことを確認して、電源を入れる」

既に数値が0の、4つほど付いているツマミを0の隣の『10』の方向にひねり確認するぱちゅりーちゃん。どれもさっぱり動かない事を確認し、ツマミのずっと右にあるスイッチをオンに切り替える。
『ブチッ』っとやや怪しい音が鳴り、アンプの電源が入った証拠かスイッチのすぐ左隣についているランプが点灯する。

「おしまい」

「ふむふむ。…え?」

「おしまい」

「…え?」

これ、だけ?

「これだけ。…これが、出来ない人が多いのよ。信じられないでしょう?」

「だって、この動作が、必須だって」

「必須だけど、人によっては『構わない』人もいるの。この動作は、『アンプと楽器に負担を与えないため』に行うの。
パソコンとかと一緒で、スイッチが入って電源が入る時が一番不安定なのよね、電圧。それなのに最初っから音量を『10』とかにして電源を入れちゃうと、とても負担がかかるの」

「…なるほど」

「それを繰り返している内に、アンプにノイズが入って仕舞いには使い物にならなくなるわ。このアンプだって試奏用では無く商品のものみたいだし、店員さんが率先して接続を行うのは『商品を壊されたくない』からなの。スーパーのりんごに、傷をつけさせないというか」

ぱちゅりーちゃんは先ほど数値が0な事を確認したツマミをそれぞれ3、4ほどまでひねり上げます。

「諸注意。アンプの電源を入れた状態で、シールドを抜き差ししない。楽器でも、アンプでもね。負担がかかってガリが入るわ、あ。『ガリ』というのは『ノイズ』ね。
楽器にガリが入ると悲惨だわよ~、どんなアンプやシールドを使っても不快にガリガリ音が鳴るのですもの! それが原因で折角15万で買った楽器を5万ほどで売るだとか、そういうケースのあるの」

「うわあ、10万も損失…。修理とかは、できないのですか?」

「難しいけど、出来るわよ。3万とか?」

「…、うわ…」

「アホらしいでしょ、高々ノイズが気に入らないくらいだけでそんな料金がかさむだなんて。それに、ギターは精密機械だからそもそもどうしようも無いケースの方が圧倒的に多いわ。修理に応じてくれただけラッキーね。アンプも同じ、一度ノイズが入ったらどうしようもないわ」

「…確かに、大切に使わなければなりませんね」

「うん、ゲームボーイアドバンスでゲームをやっていて、『ソフトを思い切り引っこ抜いたり付けさしたりする様なもの』ですもの。壊れない方がおかしいわ。でも、その。いわゆるジャリジャリした音、あるじゃない?」

「? はい」

「あれ、『歪み系』っていうのよ、『ひずみけい』。前に説明したディストーションね。あの音色ばっか好んで弾いている人は、ガリが入っている事に気が付かないの」

「音が、混じっているからですか」

「そう。だから、そういう人たちほど気が付いたら取り返しがつかないってケースになるのよね。まあ、自業自得かしら。『ものを大切に使わない』だなんて、そもそも常識外れですもの」

「常識、ですか」

「そう、常識。常識は、先人が積み上げた『良いもの』だと思ってる。もちろん、それに限らないけどね。ともかく、乱暴に扱わないこと。この動作はどんな楽器にも共通、無論キーボードもそうだわ。『楽器は精密機械』だから、大切に使用すること」

ぱちゅりーちゃんが話をまとめて、私に告げました。
内容が少ないというのもありますがわかりやすく、とても納得のいく説明でした。私は、はいとぱちゅりーちゃんに返事をしました。

「いい返事ね。それじゃあ、ちょっと試し弾きしましょうかね。見ていて頂戴」

ぱちゅりーちゃんがアンプの上に置いた箱の中から、三角の『ピック』を一つ取り出してギターから音を出し始めました。
ピックくらいわかりますよ、馬鹿にしないでください! …あれ。
ぱちゅりーちゃんは、先ほどベースを演奏していました。と言う事は、ぱちゅりーちゃんが持っているずっと『ギター』だと思っていた楽器は『ベース』…?
ま、まずい! 誤魔化さなくては!
知ったかぶりもできて一石二鳥です!

「へえ、楽しみです! ぱちゅりーちゃんはベース、とても上手ですもんね!」

「…さなえちゃん。これは、ギターよ。さっき弾いていたものと、音がシャキシャキしているでしょう?」

ぱちゅりーちゃんは、やはり呆れて私に小声で告げます。微笑ましいわといわんばかりに、ぱちゅりーちゃんの口元がにやけてやみません。…あ、ああ、ばかな、そんなばかな!
配慮したのに! ひょっとしたらって推理して、空気を読んだと思っていたのに! そしたらこの裏目ですよ、なにそれ!? どういう事ですか本当にもう!
私なんかに楽器の違いがわかるはずが無いんです、本当に、本当に…!
…は、恥ずかしい…!!!

「…っぷ。あっはははははは!!! 面白すぎるよ、さなえちゃん…!」

「な、なんですか! 笑わないでください!」

私は半ばヤケクソになりながら空いている椅子に座り込み顔を自分の膝にうずめます。
ああ、できる事なら時間を10分ほど戻して欲しい! 1000円くらいなら払うから、どうか、…本当に、恥ずかしい…!!
穴があったら、入りたい…!

「…、はあ。落ち着いたわ。…可愛いわね、さとりちゃんから嫉妬の目で見られるのも、よくわかるわ」

「全く、声が出なくなるくらいまで笑うだなんて、失礼ですよ!」

ぱちゅりーちゃんの最後の方の声が尻つぼみになっていてよく聞こえなかったのですが、恐らく私についてでしょう。
失礼しちゃいます、全く!

「あはは、ごめんね、さなえちゃんが面白いからさ。この言葉も、今日で何回言ったのだろう。それじゃあ、ちょっと演奏するわね」

ぱちゅりーちゃんはそう言ってすぐギターを『ピッキング(これくらいはわかりますよ!)』しなから左指を動かし『キュイイイ~ン』といった、音が捻じ曲がったビブラートの様な音を出し始めます。ぱちゅりーちゃんは何やら右手の『ピックを深く持ち』弦を押している左指の力を弱め『触れているようにして』、すぐに指を離しました!
すると、『ポーン!』『キュイイイイーン!』と痛烈な高い音がアンプ越しに私の耳まで届きます! すぐに甲高い音は止み、ぱちゅりーちゃんは手を激しく動かし『ピロピロピロピロ』と『辺りから』這い上がってくるような音が! その音も、どこか捻じ曲がっている様に聞こえ出します!

…しかし。それらの音は、すぐに消えてしまいました。何故か? 理由が、ぱちゅりーちゃんが演奏をやめたからです。
ぱちゅりーちゃんは左手で様々な弦を押さえ、右手を振り出し『ジャカジャカ』と音を出し始めました。テンポのある音、これが『ストローク』という奴でしょうか?
『ジャカジャカ』としてずっと続いていた音が『カッカッカッカッ』とした『カットされている様な音』に変わり始めました。そして、再び先ほどの音へと戻る。上手いなあ、そう思っているとぱちゅりーちゃんは再び演奏を止めました。

「…やめましょう。これ以上演奏していると、歯止めが利かなくなるわ」

「え、もっと聞いていたいな…、なんて?」

「そんなことやったら、1時間も2時間もかかってしまうわ。このギターの音も、あんまり気に入らなかったしね」

ギターの、音? 私には至ってイメージ通りの『ギターの音』だったのですが、ぱちゅりーちゃんほどの人だと何か違いがわかるのでしょうか。

「最後に、電源の消し方。消し方は単純よ、つける時のさっぱり逆の順序を辿ればいい」

ぱちゅりーちゃんはそう言って、ツマミのボリュームを全て0に戻し、電源を消して『ブツン』と音が鳴ったのを確認してからアンプと楽器からシールドを抜き出します。
ぱちゅりーちゃんはシールドを丸めて整え、ギターを元の場所に戻し店員さんに渡しました。

「ギター、ありがとうございました。いこう、さなえちゃん!」

ここまで、約10秒くらい? あまりにテキパキした動作で、よくわかりませんでした。
ううん、ぱちゅりーちゃん、少し慣れすぎてはいないかい…?

「これくらい、普通よ。キーボードが最上階の4階みたいね、行きましょう」

またまた心を読まれてしまいました。私は、サトラレの素質があるのでしょうか。
ぱちゅりーちゃんは黙々と階段をあがっていきます。服装が制服なので、あまり先に行かれると、その! ぱ、ぱぱぱぱんつが…!
…見えたけどぱちゅりーちゃんはしっかり体操着の下を着用していました。そりゃそうですよね。すみません。
階段の幅が大きくややきつかったですが何とか地下から四階まで登りきり、私たちはキーボードが沢山置いてあるエリアに着きました。
この階には個別に会計があるらしく、レジから『いらっしゃいませ』と告げられてやはり少しきょどってしまいました。
何回言われても慣れないものです、ううむ…。

「ここがキーボードの階ね。下とは違って、すっきり整理されているわね。楽器の量は多いけど、ごちゃごちゃしていないわ」

ぱちゅりーちゃんが小声で感想を呟きます。ぱちゅりーちゃんも、この階に来るのは初めてなのでしょうか。
ぱちゅりーちゃんの言うとおり、目の前には沢山のキーボードが並んでいます。しかし、圧倒されないというか、コンパクトに陳列されていて、安心してキーボードを眺めることが出来ます。
さっきの沢山並んだギターも味があるけど、私はこっちの整理された方がいいなあ。
キーボードはどれも既に電源が入っているみたいです。入り口の階段付近から部屋の奥の方へ行き、適当に鍵盤に触れてみると『シャー』と言った『後から伸びてくる』音がして不思議に思いました。
画面には、『ストリングス』と表示されていました。
触った、感触。私が想像していたズッシリとした感触ではなく、なんだかスコッというか、『力をいれずに一人でに押されてる』様な感触がしました。
鍵盤を良く見るとペラペラしていてプラスチックの様な材質で出来ています。うーん、キーボードって得てしてこういうものなのかな…?

「ふふ。興奮、するでしょ? まださなえちゃんにはわからないかもしれないけど、その内のめり込んでわかる日が来ると思うわ」

わかる、日。私は、その日までずっと続けていられるのだろうか。

「…やっぱり、私なんかに出来るのかな」

漠然とした、不安。ぱちゅりーちゃんは『やれば出来る』と言ってくれたけど、それは当然『やらなければ出来ない』と言う訳で、
…私に、『行動』は起こせるのだろうか。
いつまでもおっくうなままの私が、立派に演奏することは出来るのだろうか。

「なーに言ってるのよ。さっきの威勢はどうしたの? やってみたらいいじゃない、迷ったらやる! それは『嫌な事への躊躇』では無いでしょ?」

「…あう、それは、そうだけど」

ぱちゅりーちゃんにいとも簡単に返されてしまい、私は言葉を失ってしまいました。
それは、そうだけれど! 馬鹿にされてやる気を失ったりだとか、弱い自分のメンタル面を考えると、悩んでしまって…。

「…ふふ、迷いなさい。葛藤は、いいものよ。自分を見つめなおせる」

「…ヘタレ、ですよね」

「うん?」

「私。分かりきった事を、何回も聞いたり、一人では何も出来なかったり。全てが怖くて、でも怖いのって当たり前というか、…動かない理由にはならない。
現状も、もっと私が勇気を持って行動できたなら。…私が、いけないのでしょうね。こんな事を話すのも、甘えというか。
弱いから、臆病だから…」

「…私は、ヘタレだからって悪いとは思わないわ」

ぱちゅりーちゃんは、私の目を見てそっと言ってくれます。

「…」

「よくクラスとかで『立場が低いのはお前が悪い!』とか無神経に言う奴がいるけど、私は『ああ゛ん?』と思うわ。
別にいいじゃない、行動したくても、どうしても動けない人はたくさんいるの。大事なのは、行動出来る人がいかにフォローしてあげるかだと考えているわ。
所詮思い遣りよ、でも私たちは日本人。世界で髄一、相手に対して思慮深い民族よ? 良い文化はどんどん参考にしないと」

「…ありがとう」

「何よ、まだ話は終わっていないわ! 『自分が動かないから悪い』って軽々しく言う人、それも間違いでは無いけど、…『淋しい』わよね。そもそもその定義は当たり前のもので、わざわざ言うほどのものでは無いはず! ただ、なんというか、『子供の頃には無かった概念』? 
新しいものは格好いい、格好いいものは使いたい。だから、皆強調したがるのだと思う。
小さい子が大人の真似をするのと一緒。変に冷たい奴の本質は『この世は無常だ!』と叫んで背伸びしているもの。私はそう解釈しているわ。間に受ける必要は、さらさらない。

…ちょっと、折角楽器店にまで来たのになんでこんな暗い話しているのよ! おかしいじゃない、もっとパーッと見回るわよ! ほら、つっ立って無いでさなえちゃん!」

「あ、あう~」

また、ぱちゅりーちゃんから励まされて、自己嫌悪。すると、ぱちゅりーちゃんが急に私の体をくすぐって来て、私をわらかしてきました!
く、くすぐったい~!

「…そそるわね、やばいかも」

ぱちゅりーちゃん?

「ふふ、今の肘越しに手をあげてじっと目をつぶったまま耐えているさなえちゃん、可愛かったわよ」

「…あ、ふぇ、なんてことをっ…!」

ぱちゅりーちゃんから飛び切り恥ずかしいことを入れてしまい、胸から体全体が火照るような感触が行き渡ります…!
暑い、なんだか耳の裏まで体温を感じる! 恥ずかしい、なんでそんなことを言うのか!
うあ、ああああ…~!!

「あっはっは! さなえちゃん、きっとさとりちゃんに時折ちょっかいを出される理由は、さなえちゃんの反応を見たいからだと思うわよ」

「そ、そんなの聞いてないです!」

「ふふふ、失礼。…時間、あまり入れないわね。軽く『和音』の説明だけしちゃいましょうか。さなえちゃん、手を楽にして」

ぱちゅりーちゃんが私の手を握ってきたので思わず『わっ』と声をあげてしまったのですが、ぱちゅりーちゃんは気にする様子もせず、キーボードの上にお互いの手のひら重ねてを置きました。何か、指導をしてくれるみたいです。
…うーん、残念な様な、なんというか。

「はい、力を抜いて。とりあえずドレミの位置を説明するわ、黒鍵が2つあるポイントと3つあるポイントを見て、『2つあるポイント』の左端が『ド』。ドの場所に親指を置くわよ」

ぱちゅりーちゃんが、私の手のひらを下にしてドの場所に手を置きます。ぱちゅりーちゃんの手の温もりが私の手の甲越しに伝わってきて、なんだかむず痒くどきどきします。

「次に、それぞれ白鍵を一つ開けて『ミ』と『ソ』のところに指を置いて。『指の力をいれず、手首を降ろす、押すように』キーボードを押して。指の力の入れ具合は、『第一関節が反らないくらい』がベストね」

ゆっくりと、手首を降ろすように白鍵を押さえます。すると、どこからか『ジャー…ン』と整った音が聞こえてきました。
キーボードの奥に、アンプが繋がっていました。そこから、音が聞こえてきたのでしょう。
ずぶの素人でどこが『ド』の音なのかわからないのに、単音だけのチープな音ではなく『きちんとした音』が出せて、なんだか感動しています。

「それが、『和音』。演奏の、基礎よ。和音に、様々な『法則』が乗っかるの。…もう、2時ね。悪いけど、今はこれでおしまい。一旦外にでましょう」

ぱちゅりーちゃんが急かすように私を押して、階段を駆け下りていきます。一体、どうしたのだろう?
店員の人から『ありがとうございました~』とされて、申し訳ない気持ちと恥ずかしさを覚えつつぱちゅりーちゃんの後を必死に追いかけます。
先ほども思った通りただでさえ幅が広いこの階段、降りるのにも一苦労です! 1階に着いたころには、すっかり息があがってしまいました。
ぱちゅりーちゃんは入り口を通り外にでます。苦しい胸を押さえつつ私も外にでると、…―なんと、さとりちゃんの姿が!

「どうしたの、さとりちゃん!?」

「ん、ぱちゅりーちゃんと待ち合わせしたのよ。2時に、楽器屋前って」

「その疑問もそうだけど、学園は!?」

「抜けてきたわ」

さとりちゃんは、さらりと私に告げます。

「思わず泣いてしまったとき、さなえちゃんは叫んだよね。『なんで私には何も呼び掛けてくれないの!』って。その通りだと思った、でも何故か皆私に謝っていて…。
…あの後、先生に個室につれて行かれたわ。その途中に、ぱちゅりーちゃんから『よかったら2時に楽器屋で』って。先生からの話は、退屈だった。
退屈というか、憤怒したわ! おかしいのですもの、『次からは皆反省しているだろうから許してやれ』って! 明らかに理不尽じゃない、ここまで酷い話は体験したこと無いわ!
まあ、先生に歯向かってもいい事は無いから噛み殺して教室に戻ったんだけどね。教室に戻ったら、黒板に『さとりちゃんへの反省会』って、色とりどりのチョークで大きく書かれていてね。再度、改めて皆に謝られたわ。
そこでもうプッツンしてね、ふざけんなよと大声で叫んでやったわ! 近くにある机を蹴り飛ばして、校門まで走り出してやった! 皆追いかけてきたけど校門を過ぎたら追いかけなくなった。皆の悲しそうな瞳は逸材だったわ、ざまあみろって感じ!

…本当に、おかしいよ。私たちは、おかしい。たった今、嫌だという理由だけでもっと苦しんでいる人を見捨てて、仲の良いというか、『消去法』で私を慰めてくるなんて…」

さとりちゃんは、俯きます。…きっと、それは『消去法』ではないと思います。けれど、きっと似たようなもの。『さとりちゃんは可愛いから、近づいておきたい』だとか、『慰める私っていい人』だとか…、『自分たちの為』? 私には、そう思えます。
この考えは、卑屈な考えなのでしょうか。わからないけど、もしも私が『皆の立場』だったら、その様なことを考えてしまうのでしょう。
私は、臆病だから。卑怯だから。…だから、いつも考えと逆の行動を行ってきました。
その行動が、私の求めているものだからです。不正を許さない、釈然としたもの!

「さなえちゃん?」

「はっい!」

さとりちゃんから急に肩を叩かれて話しかけられるものだから、ガジリと思い切り舌を噛んでしまいました。
ガリッとした感触・音に、ジワジワとしみてくる鉄の味と痛み。右頬の痛みと相まって、チクチクと私を攻めてくる…!

「ああん! ああ、痛い!」

「大丈夫、さなえちゃ、ふっ、さなえちゃん…!」

「…っぷっはっはっはっはっは!」

さとりちゃんが堪えながら、ぱちゅりーちゃんが大笑いをしてそれぞれ私を呼びかけます。なんですか、こっちは痛みで不機嫌なのに…!
それにさとりちゃん、あなたがいきなり肩を叩いたから私は! 口を開けると空気が染みて、上手く言葉を発せない…!
うう、畜生、悔しい…!

「アホねえ、さなえちゃん! なんてドジを踏むの、呼び掛けに答える時に自分の舌を思い切り噛むだなんて、信じられなぁい…!」

ぱちゅりーちゃんが目の端に涙を浮かべながら私の背中をバシバシ叩いてきます。なんですか、今現在ここで起こりましたよ!
どうせ私はおっちょこちょいのまぬけですよ、笑いたきゃ笑えばいいです! ふんだ!

「あはは、拗ねないで、さなえちゃん…」

「つーん。私の決意は山よりも高く海よりも深い鋼鉄の如しです」

「あはは。…楽器、始めるの?」

さとりちゃんが、尋ねてきました。その瞳は、どこか不安というか、おずおずとしたものが感じられます。

「…はい。キーボードを始める事にしました。どの場所がどの音なのかわからないずぶの素人ですが、…憧れますので」

「そう。…あーあ、なら私の楽器は決まったようなものじゃない!」

「へ?」

さとりちゃんが、言葉を続けます。

「だって、さなえちゃんはキーボードでしょ? ぱちゅりーちゃんはベース、なら私には『ドラム』しか残っていないじゃない!
いいわ、応援してあげる! さなえちゃんをステージの奥から、そして自分がやりたいから!」 



『私は『ドラム』を始める!』








NEXT,To Be Continued!



  • ギターの知識がすごい!作者さんバンドやってたんすか? -- 名無しさん (2009-05-02 16:23:23)
  • 前の暗さとは打って変わったなwこのぱちゅりーは相変わらず熱いな -- 名無しさん (2009-05-03 01:01:21)
  • 良作の予感 -- 名無しさん (2009-05-03 02:39:52)
  • クラスのみんなが酷いww
    いまに「おまえの席無ぇーからぁww」
    とかいいそうww -- なんかこう、フツフツと・・・・ (2009-05-03 16:54:16)
  • 喘息を乗り越えたぱちゅりーマジぱねぇw
    しかし見てて勉強になるわこれ -- 名無しさん (2009-05-03 23:06:43)
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最終更新:2009年05月03日 23:06