「…私が言うのも何だけど。この辺りは本当高級住宅街だわよね、どこもそびえている家のスケールが一回りくらい大きいわ。…着いた。ここが私の家よ、ゆっくりしていって頂戴」
「…ほ、ほええ」
目の前には他の家と比べても遜色無い、ガーデン付きの大きい家がそびえ立っていました。
東風谷さなえのロックバンド!
私達は集合した後、もう一度楽器店に入り直すのもきまずいしどうするか考えて意見を出し合っていました。ゲームセンター? 音うるさいし、カラオケ? ううん、乗り気では無いし。
悩みあぐねていると、ぱちゅりーちゃんが『私の家に来ない?』と誘ってくれました。断らない理由がありません、渡りに船です!
私達はぱちゅりーちゃんのお誘いにホイホイつられて線路沿いの道を歩き出したのでした。
「それにしても、線路沿いの道ですか。実は、私の家もこっちの方面なんですよ。ね、さとりちゃん? 何回か、遊びに来て貰いましたもんね」
「ええ、あの家は大きかったわ。なんというか、スケールが。庭すらあったし」
「…あら、そうなの? 奇遇ね、私の家は住宅街にあるから、ひょっとしたら同じ住宅街に住んでいるのかもね」
「その可能性も、ありますね」
私とぱちゅりーちゃんは話を続けます。線路沿いの道をずっと行った所に、嫌に道が整備された、いかにもな高級住宅街が見えて来ました。
普通ならこんな所きまずくて通りにくいでしょうが、ぱちゅりーちゃんは気にした様子も無く住宅街の中を割り入って行きます。
…やっぱり、同じ住宅街だ!
「ぱ、ぱちゅりーちゃん! ぱちゅりーちゃんの家は、この辺りなんですよね!?」
「…? ええ、そうよ。やっぱり、同じだったの?」
「ええ! 私の家も、この辺りです…!」
凄く、嬉しいです! 何でかって、仲が良くなった友達と、歩いて30秒くらいの所に家があるだなんて!
ぱちゅりーちゃんが許可してくれればですが、一緒に登校してくれるのなら毎日嫌だった学園までの道のりだってちっとも不快に思いません!
ああ! 嬉しいなあ…!
「…さなえちゃんの家も、裕福なのね。私が言うのも何だけど。この辺りは本当高級住宅街だわよね、どこもそびえている家のスケールが一回りくらい大きいわ」
ぱちゅりーちゃんが住宅街の景色を眺めながら呟きます。…そうでした。実際に住んでいる当事者の私たちだけなら構わないですが、普通の家庭のさとりちゃんの前で羨む環境を、あたかも普通の事の用に話すだなんて。
私は、配慮が足りないなあ。落ち込む私に、さとりちゃんが『気にしてるけど、そこまでじゃないよ』と私の手を手で包んでくれました。
ほっこり、暖かさが私の手のひら越しに伝わります。
「…着いた。ここが私の家よ、ゆっくりしていって頂戴」
「…ほ、ほええ」
目の前には他の家と比べても遜色無い、ガーデン付きの大きい家がそびえ立っていました。
むしろ、大きい方か。その様な家の門をまるでお構い無く開けてぱちゅりーちゃんは鞄から鍵を取り出しました。
カチャリ、と鍵が開く音。ぱちゅりーちゃんが『どうぞ』と扉を開けて先導してくれたので、私たちはお邪魔する事にしました。
「お邪魔します、…ほええ」
目の前に広がるフローリング。ぱちゅりーちゃんは転校生で、引っ越してきたばかりだからでしょう家の中は新築の様に輝いています。
玄関に靴を脱いで整えます。玄関のすぐ横は階段になっていて、真っ直ぐに扉が見えます。おそらく、リビングなのでしょう。
リビングだろう部屋のドアの前の壁にも、何箇所か引き戸の扉がついています。
「ただいま、お母さん! 二階行くよ! …来て、二階。別にリビングでもどこでもいいけど、きっと二階の方がいいわ」
ぱちゅりーちゃんがまっすぐの扉に向かって帰宅の挨拶を叫び、のっしのっしと階段を上がっていきます。うーん、年頃の乙女がはしたないですよ、ぱちゅりーちゃん。
人の家を言う事もあり、私は極力トン、トンと静かな音を立てて階段を登ります。さとりちゃんも、音を気にしているみたいで静かにゆっくりと階段を登っています。
「何よ、別に気遣いは無用だわ。さあ、階段を上がってまっすぐの部屋。入ったら、最後の人はドアをしっかり閉めてね」
ぱちゅりーちゃんが下げる式のドアノブを押し、部屋の中へ入ります。…その部屋には、ふかふかとした絨毯がしかれて居ます。その上にスタンドに立った沢山のギターやでっかいアンプ、果てにはピアノまで並んでいるではありませんか!
壁も今までの塗装されたものではなく、丸く小さな点が等間隔で空いている、防音加工のものです! ぱちゅりーちゃん、一体…?
「閉めた? 音が漏れると、隣の家から苦情が来るのよ。親はいいんだけどね。…どう、驚いた? 親父が、趣味なのよ。自分は弾けない代わりに、沢山の音を集めるって!」
ドアの開いた越しから見えたギターは一部。見えない奥の方にはそれこそ色とりどりのギターやベースが並んでいて、…圧巻です!
中にはネック? が2つ付いているものや弦が7本や5本のギター、ベース! いかにも年代物だろうと思われる傷がついたギターまで!
ううん、地震が起こったらどうするんだろう…。
「ふふ、このギターが気になるの? これはツインギター。でも、ごめんね、私にもわからないの。興味が沸かなくてね、ネックが2つもあって何が起こるのかしら?
それと、親父の事だから耐震加工はしてあると思うわ。私は知らない。楽器は、ある程度裕福で無いとできないからね」
やっぱりネックだったんだ! 当たってた、どうだまいったか! …閑話休題。
ぱちゅりーちゃんは、どこか浮かない表情を浮かべて呟きます。さとりちゃんが、顔をしかめて腕を胸の前に組みました。
「…、その。話を切って悪いんだけど。防音、って大切じゃない? 私はドラムをやるっていったのだけれど、防音のドラムってあるのかな」
ぱちゅりーちゃんが、話を切り出します。それもそうですね、私の場合はきっと電子ピアノなんかを使えばイアホンを付けて大丈夫なのですが、さとりちゃんはドラムです。
もろに音が鳴る楽器、大丈夫でしょうか…。
「ええ、大丈夫よ。一応ドラムにパッドを敷いたサイレントドラムなるものがあるの。そもそも、電子ドラムがあるわ」
なんだ、なら安心ですね。電子と名前がつくくらいです、きっとイアホンにも対応しているでしょう!
「…値段、は」
…さとりちゃんが、落胆した様子で、尋ねました。…そうだ、さとりちゃんの一番の難題は、『楽器を用意すること』だ。
失礼ながら繰り返しますが、さとりちゃんは裕福とは言えない、普通の生活をしている。そもそも私たちの立場がおかしいのだ、大きい負担になる…。
どうしよう、何か案は…。
「ふふっ。そんな、わざわざ楽器を『用意する必要は無い』の。単純に、ライブハウス、『スタジオ』に行けばいいわ」
「ライブ、ハウス?」
ライブハウスって、しっかりしたバンドがジャカジャカ演奏する、あそこ? …まさか、ぱちゅりーちゃんは最初からずぶの素人の状態で荒波に揉まれろと!?
そんな、殺生な!!
「あっはっは! さなえちゃん、そもそも一人じゃライブできないわよ? 行えるけど、そこまで上手でも無いでしょう? 個室だとか、あるのよ。1時間500円でスペースと楽器をレンタルできるわ。キーボードとかの特殊な楽器は別料金がかかる可能性もあるけどね。そもそも、ドラムなんて持ち歩け無いじゃない?」
…なるほど、そういう手もあるのですか。
確かに、愛着などを気にしないのでしたらそっちの方が断然安上がりですもんね。それに、ぱちゅりーちゃんの言うとおりドラムなんて持ち歩けません。無理です。
おっちょこちょいですねえ、さとりちゃん!
「すっとこどっこいはさなえちゃんもよ。まあ、やる気を高めるために楽器を買うのもありだけど、あまり有効な手段ではないわ。飽きた時のリスクを考えて、ね。7万ドブに捨てるのよ? だったら月3000円かかってでも『箱』に通って、2年とか経ったら楽器を考えれば?」
「『箱』?」
聞きなれない単語が聞こえたので、質問します。
「『ライブハウスやスタジオ』の事。普通練習目当てではこの言葉は使わないのだけれど、格好付けて言ってみたの。なんか、活動してるんだなって思うでしょ?」
ぱちゅりーちゃんが顔を私たちに向けて右目をウインクして喋ります。ううん、クールだなあ。それでいて、燃えたぎるというか。格好いいなあ…。
「ほら! 二人とも、いつまで入り口付近に立ってるの! 適当に座っててよ、今お菓子持って来るわ。手持ち無沙汰もなんだし、小腹が空いたしね!」
ぱちゅりーちゃんが私たちに告げ、ドアを開き部屋の外に出てドアを閉めました。バタンという音がしてから、防音室なのでぱちゅりーちゃんが階段を降りた音は聞こえませんでした。
「…圧倒されるというか、その」
私は今自分が抱いている感想をさとりちゃんと共有しようと話題を振ります。
「うん、凄いわね。何本? なんというか、10越えてるわ…。一本幾ら位なんだろう」
「ぱちゅりーちゃんのパパ、あ。お父さんの事だし、高いんじゃないかな」
無防備になって、思わず普段家で使っている父親の呼び方で言ってしまいました。
「パパ、パパ? 今パパって言ったね、言い直したね?」
「さとりちゃんてば、嫌な人!」
「あっはっは! ごめんごめん、私しかいない時は言い直さなくていいよ」
「…すみませんね。ふん」
恥ずかしさがみるみる内に広がっていきます、私はなんでこういう小さい所でポカを…、ああん!
…自己嫌悪もそこそこに。おちょくって誤魔化しているものの、楽器が手に入らないというか、手元に必要ないと知ったからか。
さとりちゃんは、寂しそうな表情を、チラとだけ浮かべました。すぐに元に戻り、私に話しかけてきます。
「あはは。…見てよ、あの大きいスピーカー。なんかロゴがあるわね、『まー、しゃる』…? 筆記体で読めないわ」
「あのスピーカー、アンプって言うんですよ!」
「へえ! そういえば、聞いた事あるなあ! さなえちゃん、知っていたの?」
「ふふん、どこかの誰かさんとは違うのです!」
本当はたったさっきぱちゅりーちゃんから教えて貰ったのですけれど。小さい知識で優越感に浸っていると、ドアが開きぱちゅりーちゃんがお盆を持ってその上にお皿と
コップ、ジュースを乗せて戻ってきました。
「むきゅ、お待たせ。ブルボンのルマンドとホワイトロリータを持ってきたわ」
「わあ、おいしそう! どうでもいいですけど、ホワイトロリータっていつも名前を見る度にえっちいなって思うんですよね」
「さなえちゃん、お下品」
さとりちゃんから叱られてしまいました。何がともあれ、一時の休憩、お菓子タイムです!
ジュースは二つあり、種類は炭酸飲料水DDレモンとオレンジジュースです! どちらも2リットルのペットボトルに入っています、良くもてたなあぱちゅりーちゃん…。
ぱちゅりーちゃんが地面にお盆を置くのをペットボトルを持って手伝い、『自分で入れてね』といわれたので蓋を開けてトクトクとコップに注いでいきます。
「へえ、さなえちゃんはオレンジジュース」
「はい。子供の頃から、好物でして」
「それは丁度よかったわ。私は炭酸が好きだから、DDレモン。さとりちゃんは?」
「…DDレモンかな」
ぱちゅりーちゃんが2つのコップにDDレモンを注いでいきます。私たちはコップを上に掲げ、意味も無く『乾杯!』と互いのコップを軽く叩き合い合図を示しました!
「さなえちゃんは、おこちゃまね」
「…むう。おこちゃまでも、好きなんですもん。そんな事いうさとりちゃんなんて嫌いですよーだ」
「あはは。可愛い反応する、さなえちゃんが悪いのよ」
「か、可愛い…~!?」
そういう言葉は慣れていないから、止めて欲しいです!
厳密には、慣れているけど! なんというか、親密になった友達に言われると、もう…!
「さなえちゃん、耳の裏まで真っ赤よ」
「~! 見ないでくださいっ!」
私はコップを置き両手で自分のそれぞれの耳を塞ぎ、顔を俯かせて左右に振りやりすごします!
ああ、ああ! 恥ずかしい、なんで私はこんなに恥ずかしい思いをしなければならないのか!
「シャイね、そこがまた可愛いのだけれど」
さたりちゃんが先ほどの言葉に続き再び追い討ちを掛けてきます、この恨みはらさでおくべきか…!
…そういうさとりちゃんだって、コップを両手に持ってちびちびと飲んでいるでは無いですか!
「えっと、いや! これは、私炭酸が苦手で…」
「なんでDDレモン選んだんですか」
「さなえちゃんがオレンジジュース飲むかなあって」
「そんな言い訳は通じません! 小動物みたいですよ、こっちの方が愛嬌があると思いますけどね!」
「なっ! …言ったなあ~!」
さとりちゃんが見上げる様に私を睨みつけてきます。ううん、やっぱりさとりちゃんは可愛いなあ…!
顔色も、薄い赤色から今ではトマトの様に真っ赤です! 耳もみるみる内に赤く熟していきます、髪型が短髪だから尚更くっきりと見えています!
どうだ! 私と同じじゃないか!
「あっはっは! もっと、もっとよ! アンコール!」
…ぱちゅりーちゃんは私たちに野次をかけてDDレモンを豪快に飲み、バリボリとお菓子を食べています。女の子の要素が一つも見られません。
「ぱちゅりーちゃん、男…?」
「なーに言ってるのよ、元々私たちに性別の概念なんて無いじゃない」
それもそうでした。用意されたお菓子が全部ぱちゅりーちゃんに食べれてしまいそうに思ったので、私は口を止めてルマンドに一つ手を伸ばし、頂きます。
「…ん、おいしいね。サクサクッと軽い食感に、ザラザラとした舌触り、ベストですね」
私はわかりきった感想を告げます。こんな感想でも、共有する話題になれば。
ぱちゅりーちゃんも『うんうん』と軽く首を縦に頷きながら物凄い勢いでお菓子を口に入れていきます。太りますよ、ぱちゅりーちゃん。
…一方、さとりちゃんは一口齧ったきりずっとルマンドを眺めています、どうしたのだろう…。
「お腹でも、痛いのですか?」
まさか口に合わないと言う事はないでしょう、どうしたのかなと尋ねてみました。
「おいしい…」
さとりちゃんは、ボソリと。まるで今まで食べたことが無いように、本当に感慨深く、呟きました。
「…あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」
それが私たち2人のツボに入らない訳が無く、私とぱちゅりーちゃんは腹を抱えて転げまわりました。
私は、楽器に当たらない様意識してですけど。
「な、何よ! いいじゃない、私はあなたたちの様な貴族とは違うんですー!」
「で、でも、でもでもさとりちゃんだって庶民、庶民で、…いっひっひっひっひ! いーよいーよ、好きなだけ食べて!」
「…ぷん!」
あーあ、ぱちゅりーちゃんが責める事を言うからさとりちゃんが背中を向けて拗ねてしまいました!
私たちは一通り謝り、話題を先ほど注目したアンプへと移しました。
「…ふう、落ち着きました。不意打ちですよ、さとりちゃん…。あのアンプ、英語の筆記体で『まーしゃる』と書かれているみたいですが、メーカーですか?」
「ええ、そうよ。『マーシャル』アンプ。いいものよ、小さいのでも2万はする。あの大きさだと親父は20万くらいのを買って来たのじゃないかしらね?」
…2、20万? 20万が分裂して、20諭吉。20諭吉だと、とてもじゃないけれどむさ苦しくて一緒の部屋に居られないなあ…。
…20万?
「ええ、20万。恐らくね、正確にはわからない」
なんでそんな高級なものの値段がわからないのですか! 私は説教します、そのがてらに他の楽器の値段も聞くことにしました。
「ぱちゅりーちゃん、無頓着ですよ! そんな高いものを前に、興味を示さないなんて! …と言う事は、ここにある沢山のギターも高いのですか?」
「だって、興味が沸かないものは仕方ないじゃない。…そうね、きっと高いと思うわ。その基準に、ギターとかだとこの頭の部分、『ヘッド』。なんか横に金属ネジがついてる部分。ここに、メーカーが書いてあるじゃない? 試しにこのギターだと『ESP』。…うえ、例が悪かった、これきっと30万くらいするわ」
「さ、30万…」
ぱちゅりーちゃんがひょいと軽く抱えた緑色のギター。私たちは絶句します。さとりちゃんに至っては、瞬きすらしていません。
裕福な環境の私ですらこれです、さとりちゃんにはどれだけの衝撃が行き渡ったことやら…。
「頭おかしいわよね、この『ESP』というブランドは名門なんだけど、…ぼったくりなのよね。
まあ、どんなブランドもぼったくりと言ってしまえばおしまいなんだけど。ESPだと、30万のギターが20万くらいのギターの音がするわね」
「3分の1…。それでも、万から2桁を越えている時点で十分な気がします」
「まあ、そうね。私もこのくらいの音色まで行くと違いがわからないもの。これね、実は親父から借りて打痕跡つけちゃったのよ、ほら」
ぱちゅりーちゃんがまたも軽々しい手付きでボディの下の部分を私たちにみせつけます。そこには、しっかり塗装が所々はがれていてめり込んでいる痛々しい痕が…。
「ああ、あ、ああっ」
心がえぐられる思いです、ああ、なんでぱちゅりーちゃんは私たちに!
「大丈夫よ、親父はギターの形より音を重視しているみたいだから。流石の私でもこれは凹んだわよ、もう一つの意味も含めて。でも親父はむしろハクがつくって励ましてくれたわ」
ほっこり冷え切った心が温まるようなエピソードを聞かせてくれます。その親父さん、いい人なんだなあ…。
ちょっぴり、羨ましいなあ。…気軽に、会えるという意味で。
「他にも有名どころは『フェンダー』だとか。そういうメーカーにも派閥というか派生があって、『エピフォン』とか。エピフォンは駄目ね、フェンダーの名前を借りているだけ。よく、初心者の人がだまされているわ」
ぱちゅりーちゃんのうんちくが始まります。興味深く、中々参考になって面白いうんちくです。
ぱちゅりーちゃんは、話が上手いなあ…。
「これはちょっと違うけど、さっき紹介したESPに『レイクランド』ってあるのよ。ベースなんだけどね、これはいいわ。ずっしりとした、濃厚で今までベースを意識したことの無い人が安いのと聞き比べてもわかるサウンド。値段も20万とお手ごろで、活用性は25万と言ったところかしら?
…難点は、最近値上がりしたの。石油がなんとかでね、アホみたいって思った。これでレイクランドもぼったくりの仲間入りよ、まあ私は既に持ってるからいいけど。日本製とUSA製があって、USAの方が高い私はUSA製を愛用してる、親父にせがんで買って貰ったの。見る?」
ぱちゅりーちゃんは尋ねながら返事を待たず、すでにそのレイクランドのベースを手元に持ってきています。
20万で、お手ごろ。ただでさえインフレしているのに値上がりだなんて、さらにねだって買ってもらえるだなんて。酷い話です、私は音楽という世界で歩いていけるのでしょうか。
不安に思っていると、ふとぱちゅりーちゃんが持ってきたベースに、今まで私が見てきた楽器と違う部分を見つけました。何か、担ぐようなベルトがついています。真っ赤で鮮やかにラメが入って、白のプラ板がそれを引き立てているベースのボディに渋い紫がかった赤色のベルト。これは、なんでしょう?
「ん? ああ。これは『ストラップ』。肩からかけないと、立って演奏するときどうするのよ?」
それもそうでした。テクニックで手を離したりするのに、ずっと手に持っていたままじゃあ動けないですもんね。まりさの時も、掛けていたっけなあ?
「ふふ、あれは裏技。教えてあーげない。…一言でいえば、一般のライブであれをやったら『大ブーイング』が起こるわね」
やはり、かけていなかったみたいです。でも、裏技ってなんだろう?
「…ベースは、本当はネックを持つ手の親指をネックの中心に『反らせて』弾かないといけないの」
ぱちゅりーちゃんがストラップを肩に掛け、実演してくれます。なるほど、確かにネックの弦が無い『丸い』部分の中央で親指が反り曲がっています。
「私はあの時、親指を握るように使った」
今度は左手全部をネックに握るようにしました。すると、ぱちゅりーちゃんは左手だけでベースを持てる様になりました。証拠に、肩越しにかけたストラップが浮いています。
でもこれって、握力が無いとできないんじゃ?
「うーん、そうね。私はだけど、ベースは『握力が必要』だと思ってる。力強い演奏をするためにね、中途半端に弦を押さえると音が『ビビって』頼りない音になるのよ。皆を支えて引っ張っていく音がへにゃへにゃのもやしみたいな音だったら、締りがつかないじゃない? そう思ってたら、いつの間にか握力が付いてた」
「…、へえ」
「でもね、これは駄目よ。何故かって? 手抜きだから。4弦目、親指がどうしてもベースの一番低い音のところが指に触れて音がでなくなるの、これを『ミュート』。
ゴーストノートは説明したけど、あれとは違う。『故意的』なリズムの為じゃなくて、『やっちゃいけない』止めなのよ。
ベースって言うくらいだから、低い音の方が要じゃない? その要を仕様しないだなんて、手抜き以外の何者でもないわ」
そうだったのか、だから、『裏技』。
私はなんだか狐につつまれたような、なんともいえない気持ちになりました。あんなに盛り上がっていた演奏は、手抜きのものだったのか。
「…ショック、だわよね。でも、信じて。手抜きとはいっても、ベースの設備、環境だけ。テクニックやリズム、何より『パフォーマンス』は今まで積み上げてきたものを出したわ」
…そうです、例え弦が一つ使えなかったとしても、『股から顔を覗かせたり』『後ろを向いて演奏する』テクニックは、紛れも無くプロ顔負けのそのもの!
それに、そんなパフォーマンスだったら尚更ストラップを使わないと難しい…!
「ふふ。だてに天才とは呼ばれて無いわ。資産の関係上、色々な大きい所に招待されたからね。言ってたでしょう、『天才を見せ付けてやるよ』って」
「…凄い、凄いよ!」
「でしょう? これも、環境。環境が整っていれば、あとは本人次第ですものね」
ぱちゅりーちゃんがベースを元のスタンドに置きます。その表情は『自慢するつもりだったのに』と少し不本意そうな表情でした。
ごめんね、ぱちゅりーちゃん。
「むきゅ。自慢はあとでも出来るしね。二人に、特にさなえちゃんに教えたいことがあるのよ」
最終更新:2009年05月04日 13:08