「ママ、もう行っちゃうの?」
『ええ、収録が込み合ってるからね』
「次は、いつ会えるの?」
『そうね、また一ヶ月後。その時はパパと一緒に食事に行きましょうね』
「…嫌だよ、行かないでよママ!」
『ママを困らせないの。はい、お別れのキス。マネージャーさん、さなえをよろしくお願いします』
「わかりました。スケジュールの調整や報告は、電話で致します。
さなえちゃん、泣かないで。ママも忙しいんだ、さなえちゃんが好きなテレビで、ママが見られなくなったら嫌だろう? 美味しいもの食べられなくなったら、嫌だろう?」
「待ってよ、行かないでよママ!」
『ママ!』
『知ってるか? 芸能人の娘が学園に居るんだってよ』
『知ってる、聞いた聞いた! 何でもテレビで言ってたらしいじゃない、可愛いのかな?』
『お、俺! 顔見たぜ! 入学式の時席隣だったんだ、可愛かったなあ! いい匂いもしたしよ!』
『うっわ、いいなあ! あんた出席番号何番だっけ?』
『5番だよ! 少し会話も出来たし、本当にツキがツイてるよ!』
『…ふん。まりさたちには関係無いぜ』
『ああ、そうだな。…でも、…』
「6番、東風谷さなえ。よろしくお願いします」
どこから親の情報が漏れたのだろう。…大方、親がテレビで言いふらしたのだろう。
周囲からの眼差しが煩わしい。慣れたものだと思っていたが、どうも色眼鏡をかけられるのは気に障る。
関係ない、私は私なりに生活を送るだけだ。他の人がどう私を見ようが、構わない。
…担任の先生からすら、羨望の眼差しで見られているのがわかる。周りからなんか穴が開くくらいに注目されている。そんなに遠くからずっと見つめている位だったら、話し掛けてくればいいのに。
『あ、あの。東風谷さん…』
隣の席のゆっくりが私に話し掛けて来た。ただの呼び掛けみたいだが、無視するのもどうかと思う。
「はい。どうしました?」
私は、返答を返してあげた。返してあげたというのも高慢だが、…そのゆっくりはぶっきらぼうな返答が返ってくるとでも思っていたのか意外そうに、目を輝かせて表情を明るくした。
「東風谷さん、今日クラスの皆で打ち上げがあるの! 一緒に、行かないかな?」
先生の話を尻目に隣の席の人が私に話を持ち掛ける。打ち上げ、…いわゆるカラオケか。
新入生の間でこの様なものがあるとは雑誌で読んだ。ママが、持ってきてくれた物だ。
『さなえも年頃なんだからもっと世界を知りなさい』との事だけど、…どうしてもそこまでのめり込む気にはならなかった。気が向いた時に、適当に斜め読みして、すぐにゴミ箱へポイ。
『芸能界』だなんてふざけた世界があるから私は辛い思いをしたと言うのに、その情報を知れとは皮肉なものだ。…ママの、気持ちも汲み取れるけれど私は知りたいと思えそうにない。
隣の席の人の話は続く。その話に便乗してか、他の周りの人も一斉に話し掛けてきて、いつしか私を中心に会話グループが形成されていた。
先生は呆れ果てた様に『解散』、と。私たちの行動を黙認して教室に用意されたデスクに座り込んだ。こんな事でいいのだろうか、私は一抹の不安を感じる。
周りを見回すと、誰もかれもが私を見ている。悪い気はしない、しかし、なんだかもの悲しい…。そう思っていると。
…私にさっぱり興味を示さないで席を立った、一人のクラスメイトが目に入った。
そのクラスメイトは、私の席のちょうど後ろ。もちろん、今現在私と会話していないクラスメイトも何人かはいるが、皆私に注目している。しかし、彼女は全くその素振りを見せず、…たった今教室を出ようとしている。
私は、彼女に興味を持った。
「さとりさんですよね。前の席の東風谷です、よろしくね」
皆の会話は止まらない。そのまま、続行している。
私は名前など、物事を覚えるのが得意だ。得意というか、…教育されたのだ。将来、本来なら私は嫌に照り輝くステージの上に立っていたのだろう、そのために。
その教育が無駄なものだとは思わない、こうして役に立っているからだ。その面に関しては、普通では見に付きにくい能力を教えてくれて感謝している。だが、それだけだ。
さとりさんが、私の呼び掛けに答える。
「…何」
ぶっきらぼうで、あしらうような返事。こういう事を思うのもどうかと思うが、私の事を知らないのだろうか。
少し動揺する心を押さえて、さとりさんに話し掛ける。
「今日、カラオケがあるのですって。行きませんか?」
「…すみません。私、用事があるから」
さとりさんはすぐに返事を出して、避ける様に教室を出ていってしまった。…嫌われ、たのかな。
皆は『気にする必要は無い』と言う。何を気にする必要は無いのだろうか。少しへんくつだからって、すぐにそこまで決めつける様な事をしてしまい、良いのだろうか。
胸の中に抱いた疑問と、頭に軽く響く頭痛。あわないな、と根本的な相性を感じながら、会話は続いていった。
『…もしもし、東風谷です。プロダクションへの用件でしたら、承ります』
『もしもし、おにーさん』
『さなえちゃん。どうしたの? 保育園で、何かあったの?』
『おにーさん、さなえ、痛いよ』
『どうしたの、どこがいないの? 近くに、先生はいないのかい?』
『いないの、さなえ、足が痛いの、痛い』
『どうしたの、もしもし! いないって、大丈夫かいさなえちゃん!?』
『早く、おにーさん。さなえ、さなえ』
『…くっ! 今いくからね! 動いちゃ駄目だよ、待っていてねさなえちゃん! 泣いてもいいよ、今迎えにいく! 待っていて、待って…!』
『…はあっ、はあっ、…はっ! …はあっ、?』
『あ、おにーさん! 遅いよ、さなえ待ちくたびれちゃった!』
『…さなえちゃん、どうして門前に。足は、痛くないの?』
『うん! 最初から、痛くないよ!』
『…そう、良かった』
『あっ、ううん…。おにーさんにぎゅってされるの、さなえ好き』
『…嘘は、付いちゃいけないよ』
『なんで? パパもママも、平気で嘘を付いてるよ?』
『…』
『…さなえ、おにーさんが好きだな。さなえが嘘を付いても、怒らないんだもん』
『…嘘を、付いてはいけない理由』
『んん?』
『悲しむからだよ。嘘をつかないといけない時もある。けれど、今おにーさんはさなえちゃんからの電話を聞いて、…悲しかった』
『…』
『さなえちゃんに何かあったらって思うと、気が気で無かったよ。さなえちゃんも、おにーさんや、さなえちゃん自身が嫌な目に遇うと嫌だろう? だから、次からは気を付けて欲しいな』
『…だって』
『いいこと。自分の嫌がる事は、人にやってはいけない。相手は何を嫌がるかわからないでしょ、そういう時はこう考えるんだ。そうして、やってもいいなと思ったら行動する』
『…さなえ、わかんないもん。パパもママもさなえの嫌な事ばかりして、わかんないもん』
『…これは、出来ればだけどさ』
『うん?』
『難しい話だけれど。誰かが損をしたりするのは、当たり前でその人が悪いと思うんだ。
行動したしてない、どちらにせよその人の責任。例え物を盗まれたとしても、管理しなかったその人が悪い』
『??』
『ごめんね、首をかしげさせちゃって。
…それでも。どんなにその人が悪くても、見捨てないであげて欲しいんだ。その人に、手をさしのべてあげて欲しいんだ』
『うーん…? んん、あっ! 『ぐたいてき』! ぐたいてきって、なんだあ?』
『あはは。そうだね、…『日陰を、作ってあげられる人』。太陽さんに当てられて暑がって居る人に、前に立ってあげて日陰を作ってあげられる人。
そうすれば、その人は涼しいでしょ? さなえちゃんは暑いけれど、踏ん張って欲しいんだ。何も、全部に気にかける必要は無いよ。それだとさなえちゃんが倒れちゃうから』
『んー…。わかった! さなえ、日向に居ても座らないよ!』
『あはは、ちょっと違うかな、意味合いが』
『…ずっと、居てくれる?』
『ん?』
『さなえが、おにーさんの約束を守ったら。離れないで、居てくれる?』
『…約束でも、無いけど。そうだね、いつまでも一緒に居るよ』
『約束っ!』
『…ふふ。ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらはーりせんぼんのーます…』
クラスでの打ち上げは、楽しかった。
最初、ゲームセンターに行きクラスの音ゲーがうまい人のプレイを後ろから見て盛り上がった。音がうるさく、ぐったりしてしまったが。
そのあとに、カラオケに言った。皆が私に歌うようせがんで、恥ずかしかった。歌い終わった後、上手と言ってくれた。
その後、歌う人と話す人に分かれ、私は話す人のグループに入った。何て事のない、ドラマの話や入学前の話だった。
時間になり、解散。楽しかったが、…充実感が無いと言うか。
皆、私と無理に仲良くしようとしていて、…『同じ立場を証明したい』? それによる優越感というか、…『私個人』として見られていなかった。
いつもの事だけれど。どこに行っても、色眼鏡をかけられてしまうのは仕方ない。問題は、私の気のもちようだ。
教室に入る、時間ぎりぎりだ。ふと、クラスの隅に皆が集まっていたので何かあるのかと様子を伺うと、
…クラスメイトが一人、震えながらうずくまっていた。
皆は、それを囃し立てていた。
…悪いのは、そのクラスメイトかも知れない。
けれど、嫌なら関わらなければいい。下手に関わり、相手を傷付けるのは、果たしてどうなのだろうか。
沸々と、沸き上がる感情。一人でに、足は彼らの方向に向かっていた。同情も何もない、私個人としての行動―…!
私は、私に嘘をつかない!
「やめませんか!」
『…はあ?』
『何言ってんの? 悪いのはこいつだろ、抵抗しないこいつ』
『芸能人の親持ってるからって調子乗るんじゃねえぞ』
最初は軽い声だったけど、日が経つに連れて声は大きく胸に反響してくる。
…失礼だが、クラスの皆の様子を見たとき、何だか胸に抱えていたモヤモヤがすっきりと取れた様な気がした。
これで、良いんだ。不条理は止んだ、…代わりに矛先は私に向けられるのだろう。しかし、これでいい。
私は、いつでも憧れていた。そして、これからも憧れ続けるのだろう、誰かを、自分に投影して。…悪い事だとしても、悪い事だとは思わない。
私も胸を張り生きるのだ、『日陰を作ってあげられる』人になってあげるのだ。…でも、素直になるとしたら。…大分、怖い。
手が、震えている。押し込めていた臆病な自分。『私』という不完全に塗られたメッキが、剥がれ落ちていく感触がした。
東風谷さなえのロックバンド!
NEXT,To Be Continued!
最終更新:2009年05月06日 03:13