東風谷さなえのロックバンド! 流動

「あ、お姉ちゃん! 帰ってたんだ、お帰り!」

「…ただいま、こいし」

町の下町方面の入り組んだ道に、さらに入り組んだ所にひっそりと建つボロアパート。外の音は愚か、隣の家の生活音まで聞こえてしまうくらいに、老朽化が進んでいる。
階段を登り、自分の家の鍵を開けようとすると、既に鍵が開いていた。
この家に、まともに盗まれるものなど無い。しかし、万が一を考えると怖い。恐る恐るドアノブを捻り、中の様子を伺うと、…そこには普段滅多に家に帰ってこない妹の姿があった。

「どうしたの、こいし」

「ん、お風呂に入りたくて。急いでるからすぐ行っちゃうけどね」

お風呂にあがりたてなのだろう、こいしの周りには湯気が立っている。髪の毛の湿気の無さから、ドライヤーの作業は終えているらしい。
姿も、こいしがいつもしているゴテゴテした服装では無く、軽くてどこか欲情を誘うようなピンクのキャミソール姿をしていた。…大丈夫、だろうか。万が一、取り返しのつかないことになったらどうするのだろうか。こいしはドレッサーに向かい、化粧を始める。
マスカラや、チーク。ファンデーションなどを顔に施して、一瞬にしてあどけなさが見えていた顔は、間違えた大人のケバケバしいそれへと変化する。

「…こいし。また、怖い人たちの所へ?」

「怖くないもん。外見は確かに怖いけど、とっても良い人たちなんだから! 今日はね、仲間内の人からハーレーに乗せて貰うんだ!」

こいしの耳たぶには、恐らく人差し指一つくらい入るのでは無いかと思う大きさの穴が空いている。その穴に、黒いトゲの様なピアスを挿し、さあっと髪に整髪料のスプレーをかける。
…いつから、こいしはこんなに変わってしまったのだろう。

「80kmはゆうに出るんだって。面白そうでしょ、いいでしょ!」

こいしが手を広げてバイクの事を私にアピールしてくるが、どうにも私にはその良さがいまいち理解できない。
バイクや車の法律はよくわからないが、一般の車両で60kmをオーバーしたらまず赤キップでは無いのだろうか。それを、80はゆうにでるだなんて。
実の姉としては、今すぐにでもこいしに危ない事をするのを止めて欲しい。…危険な人たちと関わるのを、止めて欲しい

「こいし」

「おねーちゃんも、来なよ。歓迎するよ、おねーちゃんなら可愛いしすぐに人気者だよ!」

言葉を遮られてしまった。こいしは、恐らく私の言わんとする言葉がわかっているのだろう。不自然な、遮り。

「私があいつらにお願いしよっか! ちょっと説得すれば服とか買って貰えるし、あいつらはバカだからいくらタカってもずっと財布になってくれるんだよ! 最初は、お姉ちゃんにはちょっと出来ないかもしれないけれど、私が頼めばイチコロだよ!」

こいしが話を続ける。悪気も無く、普段関わっている人への悪口を口にする。このアパートは隣の家の生活音すら聞こえてくる、外に会話が漏れて聞かれているかも知れないのに、怖くないのだろうか。
それよりも、確かに不良とは言え『仲間』では無いのだろうか。

「おねーちゃんが考えていること、わかるよ。確かに仲間ではあるけれど、所詮『仲間』。いつ裏切られるかわからないもの、信用はしないわ」

こいしは、いつからこんなに心がすさんでしまったのだろう。

「…やめて」

「おねーちゃんがね。わかるって言ったでしょ、別にいいじゃない! 私は私のやりたいことをしているのだから、おねーちゃんは口出ししないで!」

「…」

私はこいしの方に手を置いて静止しようとしたが、こいしが手を振り払って叫ぶ。
キッと睨んだ目付きで、こいしは言葉を続けた。

「確かに、私の立場は最低だよ! それでいてふてくされてずっとここに居るわけではない、元には戻れないけど、私次第では再び日の目に当たる場所に戻れる事もわかってる! …けれど!
『自分の意思で行動できない』、一人じゃあ指を咥えてばかりで『何にも出来ない』奴に指図されたくなんてないね!」

こいしが、どんと。私の体を突っぱねる様に押してきた。私は、畳に尻餅をぶつけて、こいしを見上げる体勢になってしまった。

「…ごめん。けれど、おねーちゃんが本当に私を止めたいのなら、今私を押し倒してでも行かせないべき。違う?」

私はただ、こいしによる冷酷な言葉を、聞く。

「冷酷とか、酷いだなんて思わないでね。おねーちゃんは、いつもそうやって動かないでばかりで。じっと止まって私が行動するのを待ってるんだ、違う? 『あわよくばこいしが自分で反省をしないかな、もし駄目なら諦めよう』。そう、思ってるんじゃないの?」

「…いわ、ないで」


『おねーちゃんは、動かない。臆病者だ』


私は、こいしに何も言えないまま、ただ背中を眺めている事しかできなかった。
自分が、歯がゆかった。











東風谷さなえのロックバンド!











「…、ふう。さとりちゃん、どのくらい上手くなったか、やって貰える?」

「ええ、いいわ」

私たちはスタジオに入り、さとりちゃんがすぐに鞄から黒を基盤に銀の線で彩られたスティックケースを取り出します。その中から、6本くらい入っているスティックの内2本とネジを取り出して、さとりちゃんがドラムセットの前に座りました。
さとりちゃんは何やらドラムにネジを巻いて、スネアの硬さを調節しているようです。シンバルも1、2回カンカンと軽く叩き、スティックを指先でつまむように持ち構えます。
タカタカタカタン、と始まりを告げる早く小刻み良いスネアの音。そのままバスドラムとスネア、シンバルがリズム良く叩かれて一つの8・ビートのテンポが形成されました。

「…へえ」

ぱちゅりーちゃんが眉をあげ、感心したかの様にさとりちゃんの演奏を見入ります。

「…」

ちょうど演奏を止めるポイントかなと思った所で、最後にさとりちゃんがスティックと体を、腕を器用に動かし『ダララン、ダララン、ダララン!』と漫画やドラマなどで御用達の横にある大きいスネアを順に叩いていく技術を披露しました。シャーンと鳴り響くシンバルをさとりちゃんが手を当てて止め、ぱちゅりーちゃんにこういいました。

「…練習している内に、こんなことも出来るようになったの。どう?」

「…上出来ね。他の皆もコードくらいは押さえられる様になったみたいだし、そろそろライブの事を考えてもいいわね。皆、集まって」

ぱちゅりーちゃんはドラムセットの場所からスタジオの奥に用意されているテーブルと椅子の方へ向かい、一つ椅子を引き腰掛けました。
私たちもそれぞれ6つ用意された椅子に座り、ぱちゅりーちゃんからの話を待ちます。

「別に、スタジオで話す必要は無いけれど。むしろお金の無駄だから練習した方が頭いいかもね、でもハンバーガーショップとかでは落ち着いて話を聞けないでしょう? 今から話すことは、ライブについて。基礎知識よ、恥をかきたくなかったら聞くことね」

ぱちゅりーちゃんが、構えて話を始めようとします。私たち他の4人は、聞き入る体勢に入りました。
…あれから、一週間が経過しました。私たちはそれぞれ、楽器をそこそこに演奏することが出来る様になりました。
最初の1、2日目こそはボロボロだったけれど、ぱちゅりーちゃんの言っていた通り3日を過ぎてから急にスイスイと手が動くようになりました。メジャーコードはもちろん、簡単なグリッサンドくらいは行えるようになりました。
両手でいっぺんに、ドラムのテンポに合わせながら弾くというのはまだ無理です。しかし、片腕でコードを弾くのみだけなら、何とかドラムのテンポに合わせられるくらいに上達しました。
れいむは元々少しギターをかじっていたみたいで、問題無く和音をジャカジャカ鳴らせています。ベースのまりさも、ピックを使ってルート弾きと呼ばれる『一小節同じ音を弾く』技術くらいは習得できたみたいです。
確かな、自信がありました。確かに私たちは他の人と比べるなんておごまかしいほどに下手っぴです。それでも、少しずつ上達している…!

「ライブ、これが活動のメインよね。ライブを行わなければやってられないわ、何のためにバンド組んでるの?
まあ、やる気をあげるためにも説明は良い機会かもね。まず、基本的にライブは『4種類』あるのよ」

「4種類?」

「最終的な『演奏する』といった目的は同じなんだけれど。『ライブハウスを一日貸し切』ったり『レンタルスペース』を借りたり。ここでのレンタルスペースはそれこそ『小ホール』や私たちのいる『練習スタジオ』といった所のことね。
『ライブハウスを貸し切る』というのは、いわば『主催』よ。PA、PAとは『音関連のスタッフ』ね。照明設備にそのスタッフ、客席、ドリンクのカウンターなんか全部借りれる。ただこれだと『10万』はくだらないから現実味が無いけれど」

私たちはそれぞれうんうんと頷き、ぱちゅりーちゃんの話に耳を傾けます。

「残り2つは、これはあまり現実味が無いのだけれど。『オーディションライブ』や『野外』。『オーディション』は、デモテープ送って受かればだけど確かに多くの人目につくわ。でも、オーディションを受ける目的は『プロになりたい』からであって、…私たちの活動方針とは違うと思うわ。
野外は、そうね。警察と追いかけっこになるわね、音うるさいから。外でやるには電力が必要、だから『発電機』が必要なんだけど、これがまた臭くって。
半端なくオイルくさいのよ、演奏場所とちょっと離れた所に置かないときついわ。さらにレンタル料が半端ない、高けりゃ1万! んなかかるんだったら最初からレンタルでも『箱』を借りてるわよ。…こんな所。私たちは、『他の人が主催しているライブ』に参加するわ」

一旦、ぱちゅりーちゃんが話をくぎります。皆、誰も質問は特にないみたいで、そのまま話は続行しました。

「ライブの参加者は、シールの様なパスを貰えるの。それをどこか服やジーンズに貼っておけば、自由に箱を出入りできるわ。
『一度退室したら再入場不可能』って所が多いのよ、ライブハウスって。ライブハウス内、特にスタジオの上ではとてつもなく『喉が渇く』わ。万が一が飲み物が切れて、自分たちでドリンクを持ってきていない! って時に買出しにいくじゃない? それで再入場禁止とか言われたらたまんないからね。
ライブハウスのドリンクって、『一杯500円』とかで入る時絶対に頼まないといけないのよ、ようするにドリンクで利益を取ってるってことよね。出演者やスタッフ以外は大抵飲料持ち込み禁止だし、恐ろしい所よライブハウスは。
私たちが演奏するときは、今まで皆にスタジオで教えた様に『ミキサー』って機械に適当に『それぞれのポートにシールドを差し込』めばいいのよ。そうすれば、勝手にアンプから音がでる。
『直接アンプに挿す必要は無い』、むしろ音量調整しずらくなるからミキサー使用は絶対ね。他にも私たちで『物品販売』とかできるのだけれど、間違いなく誰にも見向きされないからこれはどうでもいいわね。

『貸切以外で初めてのライブハウスに出演する場合』は、それなりの手順を踏まないといけないの。まず演奏のデモテープを作って、『ブッキング担当』といわれる『予約などを管理する人』に聴いて貰うの。『オーディション』とかとは別に、上手いか下手かを聴いて貰って『出演しても大丈夫』か判断をしてもらうの。通った場合、電話とかで通知が来るわ。
ここで、2つ物事が分岐するの。一つは、『そのままライブに出演できる』。もう一つは、『オーディションライブを受ける』。とは言っても圧倒的後者が多いわね、『プロになる様に育てる、ずっと出演する』と考えているライブハウスが多いから。そこはなんというか、行き当たりばったりの面もあるけど『見極める』しかないわね。ああ、ここは何か『しっかりした』箱っぽいからきっとオーディションとかあるな、とか。詳しくは店員さんやスタッフの人に尋ねるのが早いわね」

「…」

「まあ、『ライブハウスに出演』するのだから厳しいのは当然よね、ある意味『商品』ですもの。プロへの憧れというか、やっぱり『プロを目指している人』が選ぶ道ね、私たちはもっとナーナーで出来る『知り合いや同じジャンルの人が主催したライブ』に参加する。ネットの掲示板とかで調べればゴロゴロ出てくるわ、そういうライブは大抵『参加したければ出来る』の。ただ、『チケット代』という名目で実質『参加料』を払わなければならないわ。
私たちみたいな『趣味の、完全アマチュア』の奴らの演奏なんか聴きにくると思う? こないでしょう、だからチケット代は参加料だと思って諦める事。万単位は越える事が多いけど、割り勘で目を瞑るしかないわね。これだと正直『他のバンドの友達』の奴らくらいしか観客にいないのだけれど、まあ、十分じゃない?
それに『ジャンルで開催しているライブ』の方にいけばそこそこまともなライブが行えるからね、そんなに憂く事はない」

「…つー事は、ライブってすぐに参加できないのか?」

まりさがぱちゅりーちゃんに質問します。ぱちゅりーちゃんは、顎に置いていた手をテーブルに置いて、まりさの質問に答えました。

「当たり前よ。大体、1ヶ月が目安かしら。…盛り下げる様な事を言って申し訳ないけれど。まりさが運営を担当するとして、『2日1日前に参加したい!』って表明したバンドを参加させる?
出演順や、リハ順番などの調整を行わないといけないのよ? 地獄じゃない、大抵募集は『2週間前』には打ち切られるわ」

「…そう、か」

まりさが納得し、諦めた様に引き下がります。再び、ぱちゅりーちゃんによる説明が再開されました。

「補足で、持ち物について。切れた時の為の『代えの弦』や張替え作業の為の『ペンチ』、『電池(エレキ系の楽器だと電池があります)』に『シールド』や『ピック』は絶対ね。これがないと演奏できないし、何かあった時に対応できないわ。
他にも、『飲み物』や『タオル』は必須。演奏中はじゃんじゃん汗かくからね、これが無いとやっていけない。
そして、他の何より役に立って活躍する、アイテム『ガムテープ』。こいつ無しには、ライブを行って乗り越したとはいえないわね!」

「…ガム、テープ? そんな地味そうなアイテムが、活躍するのですか?」

ぱちゅりーちゃんが口にしたのはなんとも言いがたい、どこで使うのか使い場所がさっぱりわからないアイテムでした。
ネックを折った時に、応急処置でぐるぐる巻くのかな? でも、それだと音がまともに鳴らないような…。

「…そもそもネックが折れるだなんてレア中のレアな出来事じゃない、曲がるだったら整備していないとよくあるけど。
馬鹿にしている様だけど、ガムテープは本当に何でもできるのよ。折れたものの補強っていうのは当たり。『折れたスタンドや締りの悪いスタンド』を応急処置できるの。粘着を表に輪っかにしてギターやベースのボディに貼れば『ピックホルダー』にもできるしね。
アンプの置き場所をあらかじめ印しておくこともできる、これを『バミる』っていうの。ドラムではヘッドに貼って『チューニングを行える』らしいしね」

「…へえ、馬鹿に、してました」

ガムテープ1つで、こんなに出来るだなんて。確かに、これは実際に体験した人しかわからない情報です、うむむ…!

「ふふ。見直した? 他に必要なものは『紙とマジック』、曲順表を書くためにね。『軍手』、『SE用のCD(BGM、バンドの演奏が始まる前に使用)』なんかがあげられるかな。
…れいむは、『エフェクター』を使用するのでしたっけ?」

「…? いや、まだ特に用意はしてないけれど」

エフェクター、音色を変えるやつだっけ。
ぱちゅりーちゃんがれいむに尋ねます。ぱちゅりーちゃんはそう、と一息置いて一応と説明を始めました。

「エフェクターを使うんだったら『予備のシールド』も用意した方がいいわ。ライブでだとエフェクターとエフェクターを繋ぐ短いシールドって、破損しやすいのよ。自分で踏み折っちゃうこともあれば、チョコマカ動くボーカルのクソ野郎が近づいてぶっぱなす事もあるの、嫌になっちゃうわ! ともかく、れいむがエフェクターを使用する様になるんだったら念頭に入れて置くことね。当日は私のエフェクターを貸してあげるわ」

ぱちゅりーちゃんの話は、続きます。

「さとりちゃんも、『スティックホルダー』を用意しといて。ライブ中にスティックが折れたりすっ飛んだりするのは頻繁に起こるわ。そうなった時にすぐに対応できる用に、ドラム手前に『小さく細長いゴミ箱』の様なものでもいいからスティックを入れるホルダーを確保して置くの」

「…わかったわ。用意、しておく」

さとりちゃんは頷き、鞄から取り出しすでに用意していたノートにメモ書きを残します。
ぱちゅりーちゃんはふうと一息吐き、手を上にあげてけ伸びをします。

「…こんな、所かしらね。次に、『進行』よ。私たちのライブでの『進行』は、どうするか。演奏する曲や曲順、MCは誰が担当するかも決めなくちゃ」

「ちょっと、待ってくれ」

ぱちゅりーちゃんが次の説明に移ろうとしたとき、不意にれいむから質問が入りました。
ぱちゅりーちゃんは『何?』と答えてれいむの方向に体を向けます。

「…俺たち、ボーカルは誰が担当するんだ?」

…そういえば、そうでした。皆が皆淡々と楽器を練習していましたが、そもそもボーカルは誰がやるのだろう?
ボーカルだけを決めると今まで練習してきた楽器の技術が無駄になるし、変わりばんこでやるのかな…?

「…ボーカル『だけ』だなんて、いらない」

ぱちゅりーちゃんは、吐き捨てるように呟きました。

「ボーカルだけだなんて豪言してる奴に限って態度がでかくて、歌も下手糞なのだわ。そもそもボーカルは歌だけじゃない、『パフォーマンス、MC、タンバリンなどの打楽器、雑用』全てこなせないと駄目な役割なの、履き違えている人が多すぎる」

「…そこまで、要求するか?」

まりさが戸惑ったように呟きます。

「するわよ、『バンドの顔』ですもの! 他にも『楽器できない奴が口だすんじゃねえ』とか嫉妬が生まれて、『バンド解散の原因』にもなるわ。…私の、独断だけれど。
『スケール』なんかの音楽的知識も、ボーカルだけのやつは理解していないやつが多い。したがって、そもそも楽器やっている奴の方が歌が上手いだなんてケースがザラにあるのよ。本人がやりたいだけじゃ、成り立たないポジション」

ぱちゅりーちゃんは席を立ち、手をテーブルに置きドラムセットの方向を向きながら喋ります。

「…無理でしょう? 私たちは、司会に身を投じている訳では無い。ボーカルは、私たちが交代で務めるわ」

…結果的には、私の考えた結果は当たっていました。
しかし、その意味合いは、全く別のものでした。悪いけれど、ネガティブ。『ぱちゅりーちゃんらしく無い』、なんだか悲鳴の様な説明です。
目付きも、スタジオに集合する前の柔和なものでは無く、鋭い物に変わっています。
大丈夫かなあ、ぱちゅりーちゃん。

「…私が頭の中で描いている進行は。最初に機材をそれぞれセッティングして、SEのBGMがどんどんフェードアウトしていく。最初に何も言わず1曲演奏して、演奏したらMCが『ありがとうございました。ただ今演奏した曲は○○の○○です』と告げる。
そして、『皆さんこんにちわ、バンド名です! 今日は精一杯盛り上げていくのでよろしくお願いします』と大声でMCが叫び、それぞれ楽器をジャカジャカ鳴らすの。ドラムは、こう、『タカタカタン』って繰り返すのあるじゃない? どんどん遅くなっていく技術。さとりちゃんにそれを要求するのは酷だけど、できるかな」

「出来るわ、案外簡単よ」

さとりちゃんは、即答します。

「…大層な自信ね、頼もしいわ。ともかく、それを行ったら次は『それではメンバー紹介です』と告げて、ドラムのさとりちゃんに8ビートの演奏をして貰う。そのテンポに乗って、MCがそれぞれの人を紹介して、紹介された人は軽いリフを奏でる。
なんていうかさ、大抵メンバー紹介の時は無音で行われるのだけど、寂しいじゃない? 『大抵ぐだる』のよ、そんなの嫌だからドラムによる演奏を入れる事によって、しっかりと棒を入れるの。ドラムの演奏の時は、8ビートだけじゃなくてもっとはっちゃけていいわ、シンバル多様したり早く激しく叩いたり。
これはできるかな、8ビートのリズムで叩いて、8小節目の最後の部分リピートだなって部分あるじゃない? あそこに『オカズ』でタカタカタカって音を入れて欲しいのだけれど、いや。それは後で出来たらやりましょう。
ともかく、メンバー紹介が終わる。そしたらすぐに次の曲に移る。…あとは、MCの話術に委ねるわ」

一通り進行を聞いて、私はなかなかどうして、と感想を持ちました。それもそうだ、もちろんこういうことは話し合わないと駄目だが、…世の中のバンドマンの人はこんなにも苦労や努力、試行錯誤を重ねているのだろうか?
あんまり気にしない様なMCも、ここまで考えるのが普通なのだろうか? 正直、『こういうことを話したいね』くらいで終わりだと思っていた。いや、間違いなくここにぱちゅりーちゃんがいなかったら『頑張ろうね』程度で終わって居た事だろう。
…実践を経験したことがある人が居るというのは、こんなにも頼り強い!

「そうね、やってはいけないことを説明するわ。まず一つに、始める際に『初めまして!』とか初めてをアピールする事」

「…、なんででしょうか? むしろ、会話のタネになっていい気が…」

「私はそんなの聞いたってだから何なのよって思うわ。どうでもいい、むしろ初めてなら『失敗する』可能性が高いってことじゃない? 最悪よ、そいつらが勝手に滑って気まずくなって、無言で終わられるだなんて時間を返せって言いたくなるわ」

…それも、そうですね。よくよく考えると、『話し手が話題に出来る』事以外、メリットは無いことに気が付きました。
『お、初めてか。頑張れよ』と感想を持たれるのは演奏が上手かったらの話で、初めてのライブでそんなのは無理です。初めて『行く』ライブハウスにしても、同様です。そんなに上手だったらそもそも色んな所を渡り歩き回っていると思います。

「理解したみたいね。次に、仲間内で話してはいけない。なんとかして、お客さんというか見ている人たちも交えて会話する」

「身内で勝手に話されているほどイラツくものはありませんもんね」

「そういう事。わかって来たじゃない、…曲を、決めましょうか。私たちはそれぞれ好きな曲を練習してきたけれど、こればっかりは定めないと。皆、コードは弾けるのよね? 信じてるわよ、コードが弾けなかったらそもそも破綻するわ。逆に、コードさえ弾けていればどんな曲でも出来る」

「…ぱちゅりー、さんはどんな曲がやりたいんだ」

「別にさん付けしなくていいわよ、なんだかむず痒いし。そうね、… sum41の『noots』 とか? ありがちだけど、簡単でなおかつ盛り上がるからね」

「…ヌーツ、ね。別にいいけれど、まりさはちょっと子供っぽいかなと思うぜ」

ヌーツ、ぱちゅりーちゃんが挙げた曲。私にはさっぱりわからないけど、なんとなく『洋楽で激しい曲なんだな』という事は理解できました。

「…別に、私は曲に込められた想いとか、意味とかに感動して例にあげたわけじゃない。さっっっっぱり気にしてないのよ、むしろあるだけ無駄だと思うわ。
『格好良い』じゃない、『盛り上がる』! これだけ、理由はこれだけで十分なのよ。『中学生に人気』だとか、低い層に支持されているから避けるって必要も無いと思う。格好良いものは格好良いのですもの」

ぱちゅりーちゃんは、まりさに説得を呼び掛けます。まりさは最初は嫌嫌と拒否の態度を示していましたが、その内自分で気付いたのか。…小声で、ごめんと謝りました。

「謝る必要はないわ、まりさの意見だってもっとも。まさに『入門曲』よね、だからこそストレートに心に響くというか、私はお気に入りなんですけれど。誰か、やりたい曲はない?」

ぱちゅりーちゃんが呼び掛けます。しかし、私を含めだれからも提案があがりません。
…意外です、れいむやまりさからはバンバンやりたい曲があがると思ったのに。私は、今は特にやりたい曲が無いので皆にあわせる形にしようと考えているのですが。
困り果てたぱちゅりーちゃんに、まりさがまた別の言葉を呟きました。

「…そもそもさ。まりさたちに、できるのかな」

弱気な、言葉。しかし、その言葉は私たちの不安を的確に正面から捉えて、表わしていました。
その通りです。いくら曲や進行を話したからといって、実際にできるかどうかさっぱりわからない。確かに自信はついてきています。しかし、間に合うのか。
正直、2ヶ月も3ヶ月もライブを待たされるのには嫌気が差してしまいます。どうにかして、1ヶ月で行いたい! けれど、果たしてその時間があっても、間に合うのか…。
そもそもたかが1ヶ月くらいでライブを行おうなんて考えが、虫のいい話なのでしょうか?

「出来るわ。それも、今すぐにね。『有能な指揮官』が居ればいいのよ、的確に指示を出して、進行する。これだけでライブは成立するの。
きっと、皆が考えているライブは『互いに依存しあったライブ』。私はそんなの嫌よ、『誰か一人が引っ張って、それを支えるライブ』、『個人が独立したライブ』! …これが素晴らしいわね、こうでありたい」

ぱちゅりーちゃんは、話します。

「まりさたちも、さなえちゃんも。皆、とりあえず曲とかは関係無しに演奏できたらいいのでしょう? 『まず演奏すること』、そして『示す、見返す事』、それを目標に活動している、私はそう思っているわ。だから、私は『盛り上がる』『簡単に出来る』曲を例にあげたの。
私に任せて。責任を持って、進行を担当するわ。MCは、私が行う」

ぱちゅりーちゃんは手を胸に当て、私たちに決意を告げます。
…もちろん、反対意見なんてありません。ぱちゅりーちゃんが居れば、百人力ですから! …これは、依存なのでしょうけれど。
皆も、同じ意見なのでしょう。それぞれ何も言葉を発さず、無音のまま時間は過ぎていきます。

「…ぱちゅりーさんよお」

まりさが口を開きます、ぱちゅりーちゃんは立った状態のまま『何?』と聞き返しました

「さっき。ボーカルの話題の時、気が立っていたじゃねえか。どうしたんだよ、まりさはどうしても気になるぜ?」

まりさが無神経に、ズカズカと足跡をつける様にぱちゅりーちゃんに質問します。…けれど。私も、気になります。
時折、ぱちゅりーちゃんはこの時以外にも『何かを怨んでいる様な』。…憎み、睨みつける目をしていた時がありました。まりさの質問は、それらを解消できるかも知れない、質問でした。
できるなら、話して欲しい。私にはズカズカ聞く勇気が無いからできないけれど、まりさになら。
…ひょっとしたら、まりさなりの気遣いかも知れません。この一週間、嫌々付き合いましたが、…何箇所かまりさやれいむについて見直した部分があります。
それでも、苦手な事には変わりませんが。

「…別に」

ぱちゅりーちゃんは、そっぽを向いてテーブルから離れ、スタジオのミキサーへと近づきぱちゅりーちゃんの楽器を接続し始めました。
そっけない返事。まりさは、聞き返します。

「それは無いだろ、ぱちゅりーさん。確かに、まりさたちは正直煙たい存在さ! だけれど、気になるじゃねえか! 一緒に活動している仲間だろ、答えてくれよ! まりさは、聞かないのが優しさだなんて思わないからな」






…お宅のぱちゅりーちゃんは本当に天才ですな、しっかりと弦をミュート出来ている

いやはや、これくらいの子でここまで演奏できる子は中々居ないですよ


『神童』







「…皆、クズよ。音楽に携わっているやつは皆クズ。死んでいい、死んだ方が絶対に世の中の為になる存在」

ぱちゅりーちゃんは背中をむきながら、悲しい言葉を口にします。…そこまで、言わなくても。
まりさの様子を伺います。…炎上。カッとした、許せないといった表情をして、体を震わせていました。

「…そこまで言わなくても、いいじゃんかよお。まりさはあんたがどんな経験をしたかは知らない、だけどその体験は音楽の一部だって発想は無いのか?」

「無いわ。真理だもの、クラシックとかそういうのはわからないけれど、この『ロック』というジャンルにおいては」






「…」

『どうした、ぱちゅりー? 早く演奏をお始めなさい』

「…おじさん、やだ。お父さんの所に返して」

『なんて事を言うんだっ!』

「痛い、きゅっ!」







「…その腐った根性を叩き直してやるよオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

まりさが怒声を張り上げ、堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに衝動的に机を思い切りバシンと叩きぱちゅりーちゃんの方向へ向かいます!
まずい、止めないと! 私はまりさの前に立ちはだかります、しかしすぐに体をドンと押されてしまい近くに居たさとりちゃんに支えられてしまいました。
ふがいない…、いや。それよりも、今の私の体を押した力。…強いものだった、このままではぱちゅりーちゃんが…!

「やめろ、まりさ!」

れいむが全力で駆け出し、まりさの腕を掴み取り押さえます! まりさは『離せオラアッ』と暴れながら叫び、興奮、激情した様子でれいむと揉み合います!
ついにはれいむを押し倒しぱちゅりーちゃんの側へと近づいてしまいました!
危ない、ぱちゅりーちゃん!






『…おじさんとは、~~さん?』

『いやはや、お見苦しい場面を見せて申し訳無い。この子はひねくれていましてね、気に入らない事があるとこうして私を他人扱いするんですよ…』

『はっはっは。それは、大変ですなあ』

『ええ。所詮神童とは言え、ゆっくりですからね。我が子をけなす様ですが、種族の差は越えられませんよ』






「…何よ」

「まりさは気が短い、そして今キレている。自分を見失う直前だ、一つだけ質問するぜ。お前は、なんでそんなにロックを憎んでいるんだ?」





ゆっくり、だから?

私がゆっくりだから、いけないの?






「…何を、見出せと言うのよ」

俯いた、様子で。体を震わせて、シンと音が無いスタジオに微かに響き渡る声量で、ぱちゅりーちゃんは告げました。
そして、ぱちゅりーちゃんは勢いを付けて立ち上がり、まりさの胸ぐらを掴みはじめました!




「ゆっくりというだけでさけずまれる、そんな環境の中で必死に喰らい付いてきた私の気持ちがわかるの!?
技術なんて関係ない! 色眼鏡をかけられて、一定以上の評価をされない世界で、…何を見い出せと言うのよ!!!」




ドンッと地面を足で踏み鳴らし、甲高い声で。…ぱちゅりーちゃんが瞳をカッと開き、まりさに掴みかかりながら叫びます。
ぱちゅりーちゃんの瞳には、ボロボロと玉の様に、涙が溢れだしていました。

…まりさは、言葉を失っていました。


「…取り乱して、ごめん。気にしないでと言う方が難しいだろうけど、私の事を想ってくれるなら。気に、しないで」

腕で涙を拭きながら、私たちに、告げます。後ろから覗くぱちゅりーちゃんの背中は、心なしかいつもより一段小さく見えました。
私は何も言わず、ぱちゅりーちゃんに近づいてどこか弱弱しく見える手を、そっと握ってあげました。

「…卑怯よ、人間は。私たちゆっくりを、都合のいいだけ利用しかしないの。苦痛だったわ、実の親と満足に触れ合えず、知らない赤の他人と何ヶ月も一緒に過ごすだなんて」

「…ぱちゅりー、ちゃん」

「そして、皮肉よ。私がこうしてベースを触れているのは、…私が憎んでいる、そいつのお陰ってね!」

「もうやめてっ!」

聞いていられなくなり、耐えられなくなり、…私は、叫びました。

「…そんなこと、言わなくていいです! ぱちゅりーちゃんはぱちゅりーちゃん、それだけでいいじゃないですか…!」

私たちが知らない過去だなんて、どうでもいい! そんなものを聞いても、所詮同情しかできないじゃないか!

「…大丈夫よ」

ぱちゅりーちゃんが恬淡な、落ち着いた様子で、話します。

「私は、私。自分の意識以外に、乗っ取られたりしないわ」

その眼は先ほどの憎み憤ったものとは違い、まなじりを決した、瞳の奥が再燃したもの。
立ち振る舞いは冷静。けれど、今まで以上に、ぱちゅりーちゃんは奮い立っている…!

「…やろうぜ。まりさたちで、ライブを。このメンバーで、絶対に成功させるんだ。1ヶ月、それまでの間に、もっと練習を重ねて…!」

まりさが、拳をあげながら宣言、私たちに呼び掛けます。
もちろんです。私も、その呼び掛けに大声で答えます。皆も続々と続いて声をあげていきます、しかし!

「…あんたたち、そんな1ヶ月も待つつもり? そもそも、待てるの? 私は待てないわ」

まりさの言葉に、ぱちゅりーちゃんが尋ねます。その口ぶりはなんでそんなことをするのかといったもので、待てるのかと私たちに聞いてきました。
…そんなの、待てるはずがありません! 今すぐにでもやりたい、力が無いと言われても、私たちだってこの一週間練習を重ねたんだ…!
機会があるのなら、意地でも絶対に成功してみせる! けれど、…あるのか!?

そんな都合のいい機会は、私たちに巡ってくるのか!?



「…ええ、月並みな言葉だけれど。神様は、努力する人を裏切らないみたいね。飛び入り、参加よ。明日、ここの楽器店のスタジオでライブがあるの。…飛び込むわよ、明日に掛けて!」




東風谷さなえのロックバンド! 

NEXT,To Be Continued!


  • 世界感も面白いし、いいスピード展開!いいぞもっとやれw -- 名無しさん (2009-05-07 00:12:46)
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最終更新:2009年10月14日 23:17