※色々と悪い存在が登場します
異界という言葉は、私たちの世界の向こう側、協会の向こう側という意味で表現したわけですが、
異界の境界はどこにあるのかわかりません。それは絶対的なモノではないからです。今、現実に生活
しているこの場所が、次の瞬間には境界になるかもしれない。
あるいは、山が境界になるかもしれないし、自分の裏山が境界になるかもしれない。
しかし、そこはずっと境界にならないかもしれない。異界はどこにも無いが、どこにでもある。
異界とは、それをリアリティーとして感じ取っていた人にしか現れないのです。いたるところに異界はあり、
別の観点からは異界はどこにもない。
( 小松和彦 「異界談義」 .2008 光文社 より)
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夕暮れ時に、出てきた少年は、完全に泣いていた。
迎えに来た祖父の言葉は、温かくもなく、厳しかった。まずは、ひたすら叱咤される。
「だから、一人で入るなといっただろうが」
「入りたくて入った訳じゃ………」
「何だ、他の子供にいじめられてんのか」
ここで、多少声は柔らかくなった。
「怖かったよ…………」
「この一帯は、人間が入るところじゃない。少なくとも一人では絶対に行くな。夜に行ったら、死ぬと思え」
「子供は、一応見逃してくれるって聞いたけど………」
「相手にもよるわい」
わしわしと、少年の頭を乱暴に撫でながら、二人は――――廃墟に踵を返した。
「肝試しってレベルじゃないんだ。お互いの領域ってものがある。知らなくて言い事が世の中には沢山ある」
「……………」
二人の家は、少し高台にあった。
帰路につき、坂を上ると、今まで探検していた所が見渡せる。
――――中央の林が、かなり赤く見えた。
夕陽のせいだけではない。
廃墟よりも、そっちの方が少年には改めて恐ろしく思えた。
「―――本当に死んだ人っているの?」
「まあ………何だ。ちょっと嫌な思い出があるのさ。少し大袈裟に言い過ぎたか」
答えになっていない。
しかし、祖父はそれ程嫌な顔をしていたわけではなかった。
「よっぽど嫌な事があったんだね」
「ああ…………俺も怖い思いをさせられたんだよ」
祖父も、赤い林を見て呟く。
「惨劇だった」
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―――「雨天時、ポールがいくつも不自然に倒されているのを見たら、中にまりさが入ってた」(会社員)
―――「家族で庭にやってきて、猫と戯れていた。ちいさいのは転がって楽しそうだった」(自営業)
―――「枯葉を集めていたら、中に入り込んで嬉しそうにしていた」(主婦)
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この町には鼠は生息してないと思っていた。
それ程清潔だったし、道には通常ゴミ一つ落ちていない。動物の糞などもっての外。清掃に税金を
かけているという事ではなく、住人の意識が高いのである。飼い犬などの躾もさることながら、野良の
存在が放置されないのだから、道はいつだって人間のもので、美しかった。
美しい町である。
少年は、この清潔な意識の高さと、住民の気質に見事に馴染めなかった。
だから―――異臭の漂う一応この町の裏通りで、鼠らしき生物が目の前を横切った時、ごくごく僅かに
ほっとしてしまったのだった。
それでも、放置されたままの工事現場や、ややレベルの高いダンボールハウス、出所が不明の水溜り
も不気味だった。異臭の元が何処にあるかもわからない。
半泣きで角を曲がった時、少年は誰かと会うことを全く想定していなかったので――壁にもたれたかかった、
その女を見かけたときは、悲鳴をあげかけた。
女は思い切りふて腐れた顔で、地図を眺めていた。実際後から考えなくても、少女と言える年恰好
だったのだが、女、と表現したのは大人びた雰囲気もさることながら――――太っている訳では決して
ないのだが、下腹部が異様に丸みを帯びて膨らんでいる姿が、中年太り、といわなくても、下手をすると
身ごもってでもいる様にすら見えてしまう(あのカネゴンのコンセプトもそうなのだという)。
そんなデザインのためなのだろうが、見ていると異様に不安を覚える何か蟻とか蜘蛛とか、そこら辺の生物
の様に。
腕も妙に長く見えるのが不自然だった。
「6万すった……」
彼に全く気がついていない。
顔を合わせぬようにその場を通り過ぎると、聞こえよがしにため息が聞こえた。
明らかにこの辺りの住人ではない。普段来ることが少ないが、これは解る。
―――日は少しずつ傾いていった。
急いでいた少年は、それから3回角を曲がり――――その都度、彼女に出会った。
移動できない時間ではないだろうが、不気味だった。
4回目にして、少年から声をかけた
「あの……」
少女は本当に彼が視界に入っていなかった様で、不機嫌そうな目を、極端に丸くしていた。ちなみに、
風邪なのかマフラーをやたら上まで上げているため、口が全く見えない。
鼻も殆ど隠れているが、相当低いと思われるそれも、どこか不自然に見えた。
「迷ってます?」
「出られないのよ。何ここ」
「見ての通り、ちょっとしたスラム街です」
「スラム? バスケ?」
『寂れて治安の悪い場所、って意味よ』
少女は耳にイヤホンマイクを装着していたが、そこから漏れてくる声だった。第三者に丸聞こえである。秘密
云々以前に、あれでは煩くて敵わないのではないだろうか?
「あなた、ここの住人?」
「いえ、外ですけど」
更に激しく顔が歪む。低い呻き声が聞こえて、本当に困っているらしい。
彼も本泣きしそうな程困っていたのだが、こうした状況で同じ様な目にあっている存在を見るのは、根拠の無い
安心感があった。
「その、多少なりともならば、案内できるんですが、一緒に歩いてもらえません?」
「こっちが困っているのに、何でそっちが頼む言い方なの?」
と、言いつつ二人は歩き始めていた。
そういえば、先程から続けている少女のしかめた目付きは、どこかで見たことがあったが思い出せない。
「ありがとう」
「とにかく、ここから出られればいんですよね?」
少年の足取りは割と確かだったが、目的地に近づいているのか、次第に歩みが慎重になり、周囲を見回す
ようになった。
ややあって立ち止まり―――――数少ない電灯の下、数人のホームレス達がたむろしている街灯の下を見やる。
集まって物色しているのは学生かばんだった。少年は手ぶらである。一分ほど大汗をかいて立ち往生した挙句、
少年はおずおずとホームレス達に話しかける。
カバンは、そのまま帰ってきた
「元々何も入ってなかったからなあ…」
「えっ? 何これ、忘れ物?」
「いや、外から、この裏通りに投げ捨てられたんです。おもいっきり」
「いじめられてる?」
「………見ての通り、いじめられております……」
『わかりやすいわね』
自分のそうした状況を知られるのは流石に嫌だったが、少年はカバンが無事に戻った安心感に包まれ、
ただ同行していただけの少女が、極端に頼もしく見えていた。
「それじゃ、出口まで案内します」
「よろしく」
「普通に行きます?それとも近道で?」
『近道で』
ホームレス達も無言で離れてしまい、人の気配はあっても動くものの無い、兎に角暗い道を、
二人は無言で再び歩いた。
途中、少年が誘導して一段と狭い道に入り込もうとすると、女は露骨に嫌な声を上げたが、イ
ヤホンマイクの声がそれをいなしている。
少し開けた場所に出ると――――そこには、林があった。
暗い。木々の間は全く見えない、
都会の中に残された、というのよりは、林がしがみついているかのよう。癒しいう言葉には程遠い。
「ここ、怖いですよね」
「ええ………怖いわよ。どうすんの、Sis(シス)」
『どうするも何も……… 今は無視しなさいな。怖いし』
少女は怯えるというより、もの凄く困った目付きをしていた。悲しいというより怒りに近い。
それは変に幼く見えた。
なるべく林自体を見ないようにして、足元に目をやりつつ通り過ぎると、この場所のみ、やたらとだ
らしないゴミの集積が見えた。コンビニ弁当など、食品関係だ。
ガサガサと音がしたのは、その時、
振り返って姿を捉える事はできなかったが、知覚的でたのは、人間の顔だった。林の中に誰かがいるというなら
解るが、それは同じ高さではなく、地面に密着していたと思う。
首が転がっていたわけだ。
続いて、あまり大きくも無い物体が、同じくカサカサと動き回る音が遠ざかっていった。
「これって…………」
気がつくと、目の前に別のホームレス達が3人立って、こちらを睨んでいる。
「あんた等、何の用?」
「ただ通りすがっただけですよ…」
「この林には入らないでもらいたいなあ」
彼らは決して悪人ではなく、むしろ優しい気質なのかもしれないが、この言い方や姿勢が、
彼女には卑屈に映ったのだろう。
「入らないわよ。こんな嫌ァ~な林」
少年に誘導され、かなり離れた時点で、後から思わぬ怒声を浴びせられた。
「2度と来るな」
少女は、大儀そうに、不自然な形で振り返って連中を睨んだ後、肩をすくめて歩幅を広めた。
「ここは、あんたらが来ていい場所じゃねえ」
「お前達が、あいつらの住処をぶち壊したんじゃネエか!!!」
「のうのうときれいな家に住みやがって!!!」
少女は歩みを止めて立ち尽くしていた。
『―――無視しろと言った筈よ』
「ごめんね、Sis」
「あの」
罵倒はまだ少し続いていたが、改めて少女は少年に向き合った。
「助けてくれて、ありがとう」
――――少年は、その夜風邪をひいた
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―――「ちっちゃい奴は本当にちっちゃくて可愛い」(学生)
―――「扇風機で吹き飛ばされてた」(運送業)
―――「きめぇ丸って奴だけ、動きが早いが最近見なくなった」(大工)
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地図と大分違う事は歩きながら解っていた
あの魔窟、地図に「載っていない」という扱いを受けても仕方が無いのではないかとすら思える。
ボツボツと雨が降り始めていた。
何となく、誰よりもあのホームレス達の事を思い出していたが、別段同情はしなかった。
携帯電話をかける。
「――――ボス。迷いましたが、なんとか脱出に成功したわ」
〈ただホームレスと裏通りで迷子になっただけじゃねえかよ! なんかやり遂げたみたいに言うな!!!〉
「何で知ってるんですか…」
〈そこは下調べしてたからー、何があるかぐらい知ってるのさ!!!〉
『あんなに迷うとは…………』
この分だと、お使いは明日になりそう。
「明日には、免許の更新も、口座の手続きも終わらせますから。今日は一泊させてください」
〈解ってねえなあ…… 折角来たんだから、観光ついでに悔いの無い様に回ってこいよな〉
「悔いの無い様に………」
〈そう。もう2度と来る事無い様に〉
『そんな事言って、また次の更新も代理を立てるんでしょう………?』
〈その時は他の奴を見繕うね ――――そうそう、林はまだ残ってるんだろう?見つけた?見つけた?〉
「いや、まさにそこら辺で迷った訳でして……」
正直、悔いとか云々以前に、本命の仕事が心配なのである。
「私たち、本当に手続き済ませられるますかね?」
〈基本皆、馬鹿だから大丈夫! 特にそこの町の奴等はだましやすい〉
『ふむ』
と―――前方から、仕事帰りらしい男性が歩いてくる。
姿勢はそのままで、銀行までの道のりをきくと、快く教えてくれた。
ついで、先程までいた工事現場跡には近づかないようにと忠告してくれた。
〈どうしても不安なら〉
ボスは少しだけ声のトーンを落としていた。
〈――――『ゆっくり』って名前の妖怪、いや、怪物…………珍獣を知ってるか?――って聞きたまへ。
それで、大分不安が解消されるはずだ。しっかりやってよ!!?〉
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―――「軽く噛み付かれた指が、痛くはなかったが腫れあがり、3週間戻らなかった」(主婦)
―――「買い物に定期的に来た。帽子の皺の部分に小銭をつめてた」(自営業)
―――「晴れた日、川べりに胴のついた奴等が10匹程並んで姿勢正しく眠っていた」(無職)
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「黒谷キスメ様~ 3番の窓口にお願いしまーす」
彼女とは、御使いで立ち寄った銀行で再会した。
気持ちの問題というのは大きい。清潔でも、学校でトイレで用をたせば、彼は一日その事で
周りの生徒に避けられた。元々体調は悪かったが、あの魔窟に入っただけで、何か有害なものを
吸い込んだ気になっていた。 住民には悪いが、本当だ。
女は、大儀そうに居眠りしていた。首の揺れが見ていてかなり不自然で、見ていて不安になったが、
体はいやにどっしりと腕を組んで構えていた。
最初に会った時は、暗かったためか随分珍妙な姿と思っていたが、明るいところで見ると意外と
普通に思えた。
少年はやや離れた所に座って気づいていた。黒谷はともかく、「キスメ」というとどんな字をあてるのかと
考えていたら、あのマイクからの声が聞こえた
『起きなさい。呼ばれたみたいよ』
「ごめん、Sis」
使い勝手がいいのか悪いのかわからない
受付で何かの手続きを済まして戻ると、向こうから少年に気がついた
「君、昨日はありがとう」
「こちらこそどうも。よく覚えていてもらえて……」
「んー…助けてもらった相手は覚えなくちゃね。友達になるなら、相手を助けなきゃ」
黒谷は、明るい声の割にはものすごく目付きを歪ませていた。が、その寄せ方はどこか不自然に思えた。
見覚えのある表現だと思ったが、とにかくわざとらしい。
相変わらず襟巻きをたくし上げて口を隠そうとしている。
「お陰で、目的は色々果たせたわ」
自慢げに片手でちらつかせているのは、何かの免許証の様だった。家族の自動車免許は見知っているが、
それとはまた違うもの。
更新にわざわざここまできたのか?
「一応、〇ゴブロックアーティストやってます。よろしく」
「ああ、それで、玩具屋とか行ってお城とか作ったりとか……?」
「まあそうです」
さて、時刻は夕方である。
少年は家の使いで来ていただけだが―――――黒谷は時計を見て言った。
「お礼に一杯飲みにいくかえ?」
「遠慮します。未成年ですし」
「不良が何言ってるんだ」
「不良じゃありませんよ……………」
目も当てられない
「そんな、茶どころか中途半端に金が混じった髪で?」
「これ、無理やり染められたんですよ。変な配色だし、自分でこんなにする訳無いじゃないですか」
「――――私は地毛だけどねえ」
黒谷は、いかにも日本人然とした、流れるストレートな黒髪をポニーテールにしていたが、何か緑がかかり
すぎていると少年は思った。光の角度によっては、完全に緑に見えるのが不気味だった。多分嘘だと思う。
「じゃあ、ジュースでも一本奢らせて」
『いきなりグレート落とさないで、ご飯くらい奢りなさいよ…・・・』
「チェーン店でもいいわ。居酒屋ある?」
『あんたが単純に飲みたいのね』
結局酒か………
「全く無いです………もう駅の本当にすぐ近くでないと」
「じゃあ、マクドとか」
関西の出身か?
それでも、知り合いがいそうな所は行きたくなかったのが、商店街で済ませることにした。喫茶店ならばあった
はずだ。
時刻は夕暮
同級生達と遭遇する事は多分無い。
活気付いた商店街を歩くのは、確かに楽しい。少年自身はあまり使利用しないし、店員さん達とも必要
最低限の事しか話さないが、多分、どの店も客の大半も、普通に仲がいいのだろう。
暖かい場所なのだ。
「いや、この町は良い所ね」
「俺の家族もそう言います――――けど、黒谷さんは、どんな所が良い所だって思うんですか?」
「例えば―――時間とか道とか聞くと、大抵答えてくれるしね」
―――他の町では、聞いても答えてくれないのか?と不安になったが、彼女は素で「そうだ」と答える。
フランス辺りがそうだったと言っていたが、何やら海外旅行の自慢話が始まりそうだったので黙っていた。
「困ってる時に何かするのは基本ね」
困っていること―――――
考えていた喫茶店に入ろうと角を曲がろうとした所で、その場面に遭遇した。少し先の小さい店。
知り合いではあった。
昨日の、最後にあった二人組ではないが、今までにも何度か近所でも目撃した、あの裏町のホームレスの
一人の中年だ。どこから工面してきたか、千円札を片手に。
総菜屋の前だった。
「ここは、昨日買って食べたわ。おいしかった」
黒谷は立ち止まりもせずに言った。が、立ち止まらない代わりに、ずっと首を曲げてその様子を見ていた。
中年は、最初から、丁寧に挨拶している。店主は、奥で箱を並び替えているのだろう。
数回声をかけたが、店主は振り向かなかった
次第に中年の声は大きくなった。感情的にも。
ようやく店主は振り向き、何かを伝えたら、中年は更に声を張り上げた。
同時に、両隣と真向かいの店(豆腐屋・肉屋・干物屋)の店主がそれぞれ出てきて、3人で中年を囲んで何か
を言い始めていた。
そして、他の客も総菜屋にやってきた。
総菜屋の店主は、後から来た者に対してはきちんと対応した。
道行く、知り合いらしい通行人や他の客も、数人加わる。
どうなったかを見る頃には――――喫茶店に到着していたので、中年が惣菜を買えたのかどうかまでは、二人とも
見る事はなかった。
「ここ、カレーも喫茶店なのに美味しいんですよ」
「ほほう………」
『おい、やめろ馬鹿』
マイクの声は静かに怒っていたが、冷静さは感じた。黒谷に何を言おうとしたのか、というか黒谷は何かおこそうと
したのだろうか?
二人ともホットコーヒーを頼み、黒谷は、温度が変わりそうなほど、大量の砂糖とミルクを入れ込んでいた。
喫茶店の中からは、外は見えない。
「助け合い は素晴らしいわね…… うふふふ」
この時もマフラーは外さずに、ずるずると上から注ぎ込むような、行儀の悪い飲み方だった。が、カップを片手に、
視界の悪い窓の外を覗く様子は中々様になっていた。台詞は「うふふ」の部分がどうにも芝居がかかっていたので、
誰かの真似だと思うが、解らなかった。
「いやー、ちょうどあの、ここってば割と新しい町でもありまして」
「ふむ」
聞かれるのが嫌なので、先に少年はまくしたてた。
「すごく昔から、昨日行った所はその昔の名残って言いますか、あんな感じの掃き溜めな部分が残ってしまいまして
――――掃き溜めって言い方は酷いですよね。ごめんなさい」
「誰に謝ってるんだ」
「皆近寄りたくないっていうか、そっとしておいてあげたいっていうか………住み分けっていうかなあ」
『割と雰囲気が暖かい町みたいね。でも、そんな空気を冷たくしたくないだけなんでしょうね』
「そんな話になる時点で冷たいけどねえ」
少年はそれ以上何も言えない。
自分でも、何故さっき謝ったのだろうと思った。
「ごめんなさい」
「だから何で謝るのかしらね。それなら」
少し身を乗り出し
「『ゆっくり』って……名前の珍獣 知ってるか?」
反応したのは、少年ではなく、店主らしい年配の女性だった
「ここに来るのは初めてですか?」
「ええ」
「定期的に好奇心のある人達来てくれるんだね。これで有名になるのもどうかとは思うんだけど………」
苦笑しつつ、取り出したものがある。
ほんの少し厚い、中綴じの冊子だった。
「本当に不思議な動物ですよ。まあ、ここの名物といえば名物かな?」
「えっ?」
「例えば、何にしろ、大量発生しすぎたけど、その量が多かったり、珍しかったりで、名前が知られた村―――
どこだったか忘れたけど、それに近いんですね」
「大量発生?」
この町の人達は皆詳しいですよー と、少年が少し固い顔で言った。
特にお年よりは、直に見たり触ったりしてきましたから~
「大量発生は、まあ大昔の話かな? 今も、一部で生息はしてるよ。ただ、絶対に町には入ってこないけど」
「………………」
『そろそろ、ここ出る?』
マイクから声が漏れたが、今度は近くのテーブルにいた他の客まで割り込んできた。
「まあ、もうこっちにまで侵食はしてこないですよねえ」
「いや、流石に可哀想だったかな アレは」
客は、ちょっと目を伏せていた。
黒谷は、ずるずるとわざとらしくコーヒーを啜って、店主からもらった―――A4の20P程の冊子を丁寧に眺めている。
「抵抗されたからって、帽子を奪うのはやりすぎた。泣いてたものな」
「直接暴力を振るわなかっただけマシですよお」
客は、しみじみと呟いた
「いやいや、あんたのあの時の活躍は忘れないよ」
「それにしても、よくできたガイドでしょう」
黒谷は、何やらいやらしい目の閉じ方をしていた。眉根を大きく上げ、目を細く。笑っているつもりなのだと気づくのに
時間がかかってしまった。
「ええ、とっても。 まさか、生き残ってるとは思いませんでした」
地方の民宿に行ったりすると、そこの亭主が異様に力の入れた地元のオリジナルの冊子を無償で作っていたるする、
アレと似たような姿勢なのだろう。・
「これで、大抵のことは網羅してあるはずだ」
「本当、まだ存在してる事自体驚きです!」
黒谷は、20P程の「日本ゆっくり大百科」を丁寧にかばんに入れた。
この、店に入る直前からのやり取りは――――少年の同級生が、携帯でカメラに収めていた
「まったく、興味深い珍獣ですよねー ゆっくりって!!!」
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―――「熱帯夜、網戸にしないといつの間にか入り込んで、涼しい場所を見つけて寝ている」(会社員)
―――「ベンチに座って食事をとっていると、可愛らしい目でこちらを見上げてきた」(学生)
―――「無視して食事を終えたら、とても憂鬱な目をしていた」(配電工)
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「ボス。ねえボス」
〈……何だえ〉
「もう帰りたい」
『いつまでもそうは言ってられないでしょう』
〈甘ったれるなあああ〉
ボス………最近食事に肉がでないからと、不満だったそうだがいつになく機嫌が悪い…………
―――何故こんな事になってしまったのか。
ボスの代理がこうして勤まるメンバーはそういない。この事を、誇りにも思っていた。
今回は頼れるSisterもサポートしてくれる。友人にして先輩であり、頼れるBig sis。
欲を言えば他にも一緒にいて欲しいメンバーはいたのだが、この際言うまい。
とはいえ――――
「この町に派遣するってのは、何の嫌がらせで?」
〈おやまあ、そんな風に捉えるかね。〉
「惨劇よ。惨劇が起こった所。―――――まさにトラウマ」
電話の先で、笑い転げる音と声が
〈いや、お前も随分強くなったと思ってなああああああ〉
「どこが」
『トラウマって、皆簡単に遣うようになったけれど、本来なら生活に支障がでるくらいの事を言うのよ。
体がいう事きかなくなったり、拒絶反応起したり。のうのうと一泊して、飯まで食って男子高校生と
遊んでからいう事じゃないわね』
〈自分でそんな事いうくらいだから、物事を深刻に受け止めてないって証拠だわなあ〉
そうだろうか。
彼女は、今、林の前にいる。
夜に来てしまった事を後悔していない。
昼間の方が個人的にもっとイメージが悪いし、ホームレス達も寝ている頃だ。
この前、二人の中年にののしられた場所から、少しだけ中が見渡せた。
『どう?』
「どうっていうか………やばい」
『? 何が見える?』
「いや、生活リズムが長年変わったせいか………夜目が利かなくなってる…………」
『………それは重症……』
本当にショックだった。Sisも同じだろう。
だから――――――――最初に、足元にも気がつかなかった。
身を乗り出したとき、右足で踏み込み、左足を擦らせたので良かった。
「ゆぎゅう」
間抜けな声だった。
『おっと』
見やると――――はっきりとは解らなかったが、ソフトボール大のものが左足に引っかかっている。
「いたいよ!!! ゆっくりはなしてね!!!」
『失礼』
「おお………」
本当に―――――饅頭 と例えられるのにふさわしい。
素敵な丸みと、いかにも柔らかそうなふくらみは、中身が甘いお菓子という事で、饅頭と例えるのにふさわしい。
実際、体には9割9分餡子が詰まっていると、あの「ゆっくり大全」にも書いてある。
小さな喋る饅頭は、そのままコロコロと転がり、林の中に消えていった。
『小さい子だったみたいね』
「……………」
『治安だけは随分いいって事じゃない?ふらふら幼児が出歩けるって事は……』
彼女は何かしら口にしようとはしていたが、それがどうしても出来ない様子だった。
『……………』
「何回もごめん。 言い訳だけど、この―――林と、子供ゆっくりの組合せって やばい」
『進みなさいな』
「無理。 恥ずかしいしありがちだけど、あれ思い出して」
『 『権力とゆっくりに殺されるううううううううううううう』 ってやつ か?』
一歩も進めなくなったまま、彼女は、その場で嘔吐した。
林の中から、恐る恐る声が聞こえる
「おねえさんたち、どこからきたの?」
『外からよ』
「ここは、れえむたちの、みんなのゆっくりプレェスだよ!!! ふたりともゆっくりできるひと?」
「できないわよ………」
じゃあ、帰れ、とは言われなかった。
寧ろ心配する声さえ聞こえたが、それも無視して、その場を去ることになった。
「ゆっくりしていきなよー!!!」
最終更新:2010年04月05日 19:46