幻想郷にも労働という概念はある。むしろ人里では大半の住人が労働者としての側面を持っている。
食料が欲しければ自分達で作り出し手に入れるしかないためだ。
そもそも幻想郷を支配する妖怪達からすれば役立たずな人間を無理に住ませる理由はない。
身体に障害があって働けないのならまだしも、働けるのに働く気がない故にプー太郎となっているような、
そんな奴に生活保護なんて受けさせるようなことはしないのである。
また、妖怪達の中にも労働をしている者はそれなりに多い。
食料は妖怪の食料係から支給されるため気にしなくてもいいが、
人里にある嗜好品が欲しい場合は物々交換よりも軽くてかさばらない金銭を用いるのが一番手っ取り早い。
他には虫妖怪のように道楽の一種として働く者や夜雀のような大儀を持って働く者と様々だ。
『やっぱ外もいいね! どっかに小学生落ちてないかな?』
ゆっくりまりさは単に出不精なだけであって、精神的な問題があって引きこもってるわけではない。
そのため人里に出る事はすんなりと出来た。
一匹で人里に向かわせると変な奴に付いて行って面倒ごとが起こるのかもしれないと思い、
魔理沙も同伴する。
このような性に会わない過保護なことをしでかすのも、
ゆっくりまりさを監視しておかないと危なっかしいからだと思っていた。
「いいか、知らない奴に付いて行くなよ――っていない!? どこいったゆっくりの奴!?」
さっそく迷子かよと魔理沙がとっさに周囲を見回すと、
50メートル先にて、妖精達に声をかける一匹のゆっくりがいた。
『ゆっくりしていってね! おいしいおかしがあるよ! いっしょにゆっくりしようね!』
「大ちゃんお菓子だって! お菓子くれるって!」
「えっ、でもチルノちゃん、知らない人についていっちゃ駄目だよ」
『人じゃなくてゆっくりだから大丈夫だよ!』
「ほら大ちゃん、ゆっくりだから大丈夫だよ」
「そっか、ゆっくりだから大丈夫だね」
『こっちだよ! ゆっくりついてきてね! いっしょにあそぼうね! おいしゃさんごっこしようね!』
「大ちゃんはやくー!」
「チルノちゃんちょっと待って――」
『ゆっくりたのしいことをしようね! ゆっくりネチョろうね! ゆっくりじっくりねっとりとぶげらッ!』
「何やっとるんじゃペドゆっくりぃぃぃ!!」
魔理沙はミニ八卦炉をゆっくりに押し付けるようにして踏んづける。
そのまま極太の零距離マスタースパークがゆっくりまりさを焼き尽くした。
『現代社会ってやだね~。幼女に声をかけるだけで通報されるんだもん。何も悪いことしてないのに』
「お前の罪を数えろ」
『かわいくってごめんね~。かわいいって罪だよね~』
「生きてるだけで罪だからさっさと死ねってことだよ。最後まで言わせるなよ恥ずかしい」
ゆっくりのことを少しでも心配した自分が馬鹿だった。魔理沙は頭を悩ませながら思った。
魔理沙とゆっくりまりさ、互いに並んで歩く。
魔理沙が慧音に教えてもらった職業紹介所には思ったよりもすぐ着くことになった。
『よし、ハロワ到着!』
「やっと着いたか……。お前がまだ問題起こすんじゃないかと思ってヒヤヒヤだったよ……」
『ね~魔理沙~。ここからはわたしだけで行ってもいっかな? あんなところまで着いていってもらうと面接に親同伴みたいで痛いし』
「どの口でそんなこと言ってるんだよこの問題児……。まぁ、あんな子供が寄り付かないようなところで問題が起こる気もしないし。わかったよ、私はこの辺で待ってるからさっさと行って来い」
『おっけ~』
ゆっくりまりさはポンポンポンとハロワまで跳ねて行った。
◇
職業紹介所(ゆっくりまりさ曰くハロワ)には様々な仕事の広告があった。
職業名:抱き枕
仕事内容:抱き枕
必要な資格:美少女限定(妖精優遇)
備考:夜勤
『はいパス。深夜のお仕事はお肌が荒れるの』
職業名:清掃員
仕事内容:幻想入りした厨二オリキャラの駆除・抹殺
備考:笑い声の絶えない明るく楽しい職場です。
『楽しそうな仕事だけど備考がDQNの多い職場っぽいから没』
職業名:料理
仕事内容:妖怪の餌
備考:仙人・蓬莱人優遇(天人不可)
『お残しはゆるしまへんで! アウト!』
中々好みの仕事が見つからなかったが、その中の一つに目を光らせるものがあった。
『あ、これイイかも』
臨時募集
職業:接客業
仕事内容:人里にある道具屋 霧雨店での接客です。
◇
道具屋 霧雨店。それは人里にある魔理沙の実家である。
小型の自営業の店舗のような名前とは裏腹に人里でも屈趾の老舗である霧雨店。
そこに行けば駄菓子から外の世界の銃器までありとあらゆる物が手に入るといわれるほどの巨大な店舗だ。
近頃は妖怪でも霧雨店で働いている者がいるほどである。
もっとも魔理沙が父との確執ゆえの家出、勘当、絶縁と一連の過程を経た今となっては実家とは名ばかりで、
今はもう訪れることはない。
そんな彼女がまさか再び実家に縁が出来る日が来るとは思ってもいなかった。
『や~、面接担当した人ってば見る目あるよ~。かわいくってごめんね~かわいくってごめんね~かわいくってごめんね~。めちゃ大事なことだから三回言いました』
「仏の顔も三度までな」
接客と呼び込みの仕事をしていた人が怪我をして休暇をとることになり、
そのため臨時で代理の仕事をする者が必要になったらしい。
ゆっくりまりさは面接に受かったことに気を良くしたのかにこにこと調子に乗っている。
「はっ、どうせ辛くなってすぐにやめるだろ」
『働いて欲しいんじゃなかったんか!』
「正直なこと言うと、お前に仕事が決まるとは思ってなかった」
『ひでぇ! ところでこの“きりさめ”ってまりさと同じ苗字だよね』
「結構多い苗字なんだよ。クラスに10人はいるぜ」
ゆっくりまりさは道具屋 霧雨店が魔理沙の実家だと気付いていないようだ。
魔理沙もいけしゃあしゃあと誤魔化す。
『なんだかゴキブリみたいだね!』
「ほっとけよ! それにしても働く事に乗り気なんだな、意外だよ」
『たまにはいいかなって思ったさ!』
ゆっくりまりさは夢を見るように目を輝かせた。
『これで新しいパソコン買えるね! 弾幕が増えても画面がカクカクしないパソコン買うよ! ラノベや同人誌も買い放題さ! ゆっくり楽しみにしてるよ!』
「……まぁ動機は何であれ働くことは悪い事じゃないしな。家の中でじっとパソコンをいじっているよりは生産的だ。あと働き始めたら家にお金入れろよ」
『断る!』
「この居候が! お前食事と寝床だけ得て実家にお金を入れない駄目OLか?」
こういう場合確実にもめるのが家にいくらお金を入れるかの相談だ。
結局ゆっくりまりさはビタ一文も家に入れないようにした。
がめつさでは魔理沙を遥かに凌駕している。
「ところで仕事はいつからだ?」
『あした! そ~ゆ~わけだから起こしてね!』
「はやっ! そして当たり前のように頼むなよ! 自分で起きろよ!」
『ご飯つくってよォォお弁当ほしいのぉぉぉ!』
「泣くなよお前! その辺の雪でも食べてろ!」
◇
『ゆっくりしないでさっさと起きてね!』
「ん~……なんだよ朝っぱらから」
早朝、魔理沙がいつもはまだ寝ている時間帯にぽすんぽすんと魔理沙の体に柔らかい感触があった。
魔理沙が目を擦りながら這いずるように起きると、
目の前には口元に不適な笑みを浮かべながら眉毛をキリリと立てるゆっくりまりさがいた。
『朝ごはんプリーズ! パワーが出るようにご飯とお味噌汁でたのむぜ! コーンフレークじゃ力が出ないのさ!』
「……朝からうるさいぜ。大体我が家は元から和食だろうが。そもそも何様だお前」
『社会人様だ! 正確には社会ゆっくり様だ!』
「短期雇用のフリーターは社会人に含まないっての」
そう軽口を叩きながらも、魔理沙は自分も幼い頃実家に住んでいたとき、
朝起きたら今は亡き母が朝食を作ってくれていたことを思い出し、自らもそれを真似た。
亡くなった母さまは魔法使いだった。有り触れた食材からあっという間に美味しい料理を作り上げる魔法使い。
「ふわぁ……」
魔理沙は寝惚け眼でフリルのついた白いエプロンをつけ調理に取り掛かる。
トントン、コトコト、グツグツ。
ホカホカのご飯、なめこの味噌汁、青菜のお浸し。
普段よりも早い時間に作る和風の朝食は中々の出来栄えだった。
ゆっくりまりさはそれをガツガツと口の中に掻き込む。
面倒だとごねて寝坊するかと思ったが、そのようなことはなかった。
新しい生活への期待とはそういうものなのかもしれない。
『ゆっくりしていってね! いってきます!』
「お~たっぷりゆっくり世間の辛さを感じてこい」
スィー(ゆっくりの乗り物。台車のような形)を走らせゆっくりまりさは人里の方に向かっていった。
そんなゆっくりまりさを見送りながら、ここしばらくの事を思い返す。
魔理沙はゆっくりまりさとこれほどきちんとした会話をしたのは久しぶりだと思った。
「どう思うよこーりん」
「どうもこうもないさ、すでに決まったことだ。僕達が何か言える立場じゃない」
「そうやってもっともらしい事言ってるけど、面倒ごとに巻き込まれたくないだけなんじゃないのか?」
本から目を離さずに答える男性は森近霖之助。魔法の森の近くにある香霖堂という古道具屋の店主だ。
ここの店主、以前は道具屋 霧雨店で修行を積んでいたので魔理沙の家の事情には他のものよりも聡いため、愚痴を聞いてもらいに魔理沙はやってきた。
この間ゆっくりまりさに『女の子のところばかり行ってる』と言われたのが気になったのも一員なのかもしれない。
「でもさー。何もゆっくりなんて雇わなくてもいいと思わないか? あいつ本当に役立たずだぞ」
「そうでもないさ。接客業はある意味ゆっくり達には向いてる」
「どういうことだよ?」
「煽る程度の能力があるからさ」
「それ能力って言えるのか……。いや、人を驚かす程度の能力とかも似たようなものか……」
「今の幻想郷で最も大事なのは戦闘力でも妖力でもでもなくて、口の上手さもしくは勢いだよ。妖怪の中には相手にしたとき口八丁で逃げ切れる者が多い。それに例えば弾幕ごっこの前口上が出来ない者はどれほど実力があろうと中ボス以上には昇格できないだろう? そんなものマイクパフォーマンスの出来ないプロレスラーに等しい。ノリのよさと盛り上げる力こそ酒が支配する幻想郷の摂理さ」
納得するようなしないような、相変わらず突拍子もない理論を長々と言う男である。
「まぁ――確かに、あいつ普段人前に出て行かないくせに、いざ出て行ったらやたら外づらがいいしな」
「接客とはサービス業であり、他人とのコミュニケーション能力を持たない者には向いていないしね」
「無愛想店主がどの口でいうんだよ。案山子の方がまだ愛想があるぞ」
「いいんだよ、店主はサービスなんてしなくったって。そういうのは店員がやってくれるさ」
「この店に店員なんてだれもいないじゃないか!」
ゆっくりまりさが働くようになったのは喜ばしいことだが、
魔理沙としてはゆっくりまりさが道具屋 霧雨店で働くのはやめて欲しかった。
店の人たちはどう思っているのか? 変な噂が立つことが恐ろしくないのだろうか?
何よりも、自分の父と出会ったらどうなるのだろう?
ゆっくりまりさの楽観視しているところを見ると魔理沙は頭が痛くなる。
「あ~何か複雑だぜ」
◇
その日の
夕暮れ時、ゆっくりまりさは魔理沙よりも遅くに帰ってきて、
珍しくも魔理沙がゆっくりまりさを出迎えることになった。
『ゆっくりしていってね!』
「お~、おかえり」
『ゆっくりしていってね! って返してよ! ゆっくりの合言葉!』
「ややこしいんだよ」
初日の仕事を終えたゆっくりまりさはどや顔で帰ってくる。『やりきったぜ!』とでも続けそうだ。
「ほら帽子を洗濯籠に入れて来い。洗ってやるから。それと夕飯出来てるぞ」
『さんくす!』
ゆっくりまりさはぽよんぽよんと脱衣所に向かい、帽子を入れてうがいをしてから戻ってくる。
その日の夕食はご飯と大根の味噌汁と山菜の天ぷらとしいたけのバター焼きだった。
家の中に響くいただきますの声。
「仕事どうだった?」
『フツー』
「…………」
『…………』
「……………………」
『……………………』
「会話が続かないだろ!? もっと何か言えよ!」
『ゆっゆっゆ~♪ そういうと思ったよ!』
「うざっ!」
その後のゆっくりまりさはいつもよりも饒舌だった。
初日だけあってわからないことが多かったけど、仕事場の人に尋ねたら丁寧に教えてくれたという。
楽しそうに、楽しそうに語る。
仕事自体はそこそこできるのに働かないのがゆっくりまりさ。
仕事が出来なくても懸命に働く奴全てに謝るべきである。
ホウレンソウが出来なくて上司に怒鳴られたり、仕事が出来なくて上司が「仕事が終わった後で教えてあげようか?」と言われたら『それ残業代出ますか?』って失言をかましたり、気に入らない同僚や上司の陰口を聞かれて出世を棒に振ったり、徹夜で仕上げた企画書が誤字脱字だらけでプレゼン中失笑を買ったり、一ヶ月間研修の名の元にただ働きさせられた上に給料がもらえなかったり、そんな社会人が経験する様々な苦しみを味わっていないのだ。
いくらバイトとはいえ、このゆっくりまりさは。もっと苦労すればいいのにと魔理沙は思った。
『いいトコだったねー! 広いしキレイだし!』
「へ~そう」
『一緒に仕事しているおっちゃんがすっげいい人だったよ! 休んでっときにお饅頭とかお菓子くれるんだ!』
「甘やかしすぎだな。部下は生かさず殺さず扱う物だってのに」
『面接してくれたのもそのおっちゃんなんだ!』
「見る目がないな、新入社員を見極められない奴は会社を滅ぼすぜ」
どうやら懸念していた人間関係は上手くやっているらしい。
考えていた以上に霧雨家に関わる大人達はお人よしだったようだ。
魔理沙はそういえば自分も幼少の頃大人達に可愛がられていたことを思い出す。
生意気なところもありやんちゃ盛りとはいえ、
キラキラと目を輝かせ天真爛漫に遊ぶ子供は可愛いものなのだろう。
ゆっくりまりさに対してもそれは同じなのか。
自分はそうやって大人達に守ってもらい、あの時までは健やかに過ごすことができた。
会話をしながらの夕食は和やかに進んだ。けれど一番聞きたいことは最後まで聞けなかった。
そもそもゆっくりまりさは魔理沙の事情を知らない。
(なぁゆっくり、私の親父は見たか?)
◇
(何だかんだで見に来てしまった……)
魔理沙は今道具屋 霧雨店の前にいた。
とはいうものの、姿をそのまま実家に晒すわけにはいかない。
かといって生半可な変装してもばれてしまう。
そのため今の魔理沙は河童の便利道具の一つ、光学迷彩スーツを着用している。
周囲の風景と同化して周囲の人間からはそのスーツを着た者の存在を気付かれない優れものだ。
にとりから借りた一品である。
よって仕事中のゆっくりまりさの様子が間近で見れる。
魔理沙は家出して以来始めて、店の中に足を踏み入れた。
店内は改装しておらず、魔理沙の記憶とばっちりと一致する。
広く、そして年月を経た建物ならではの風格がある。
その店内は様々な雑貨品が整理整頓されて並んでいた。
雑貨や農耕用の道具を中心に、時計などの日用品や骨董品なども扱っており、
良く言えば品数が豊富、悪く言えば雑多でコンセプトのハッキリしない店だった。
もっとも、魔法関係の道具は一つも置いていない。
(あ、これなつかしー。このヨーグルトみたいな駄菓子好きだったんだよなぁ。容器の端っこまでスプーンで掬って食べたっけ)
子供の頃は店の中が遊び場だった。広くてごちゃごちゃしていて面白い。
特にお菓子・駄菓子コーナーが大好きだった。
だがしかし店の中のものを自由に食べたり持っていったりする事は当主の娘であろうと出来ない。
そのため、おやつが待ち遠しかったのを覚えている。
高級そうなお菓子よりも、小さくてたくさん食べられる駄菓子の方が魔理沙は好きだった。
手癖の悪い魔理沙はそれを手に取ろうとも考えたが、今日の目的はそれではないので潔く通り過ぎる。
(お、いたいた)
『ゆっくりしていってね!』
『さぁさぁゆっくりしていきんしゃれ!』
『ゆっくりしていってよー!』
ゆっくりまりさは駄菓子やお菓子コーナーの呼び込みをしている。
声に引き止められる者、無視して素通りする者と様々だが、中々好評なようだ。
(まぁあんなところか。思ったよりは真面目に仕事しているみたいじゃないか)
魔理沙はそのままゆっくりまりさの傍に寄る。
こうして大声を張り上げながら真面目に働いているのを見ると、頬の辺りがぴくぴくと動くのを感じる。
例えゆっくりまりさの一時だけの気まぐれでも、自分の育てたゆっくりが有能に仕事をしているのをみるのは気分がいいものだ。
今日はいつもよりも腕によりをかけてご馳走でも作ってやるかなと思った。
「ゆっくりまりささん、休憩の時間ですよ」
その矢先、店の奥から声が響いてきた。
するとゆっくりまりさが振り向いて、
店の奥へとぽいんぽいんと体がつぶれそうになるほど元気良さそうに跳ねていく。
そこには一人の男がいた。
あれがゆっくりまりさと仕事をしているおっちゃんらしい。
すらりと長身の体躯に質素な羽織を着て、長い黒髪を後ろに髪を束ねた壮年の美丈夫だ。
目が悪いのか銀縁の眼鏡をつけている。
その人を見て魔理沙は目を丸くした。
その人の事を魔理沙は知っている。
相変わらずどんな相手にも敬語を使う人だ。
従業員みたいにひょこひょこ店内に現れる変わり者なところも変わってない。
忘れるはずが無い。
その男は魔理沙の父親であった。
◇
店の裏側にある居住区にて、ゆっくりまりさと父は共に縁側に座っている。
光学迷彩でこちらの姿形は見えないが、それでも魔理沙はかなりの距離をとる。
魔理沙が父の顔を見ることになったのは久しぶりであった。
家出する前に比べて少し老けたように思える。
妻を亡くし一人娘が出て行ったことが関係しているのかもしれない。
一方、ゆっくりまりさは幸せそうに大福を頬張っていた。
(ゆっくりめ私がいないことをいいことに羽を伸ばしやがって……)
全く、甘やかしすぎだろう。もっと鬱病になるぐらい働かせろよと魔理沙は突っ込む。
何を話しているか魔理沙の場所では遠くてよく聞こえないが、魔理沙の父とゆっくりまりさは楽しそうに談笑していた。
人間の男と生首妖怪とはいえ、並んでいるその姿はまるで親子のようであった。
もしも魔理沙が“親の言う事を素直に聞くいい子”であったのなら、
今もあの場所に居るのは自分かもしれない。
実家を捨てたのは自分のため、文句を言える立場ではないが。
今日はもう帰ろうと思い、その場を立ち去ろうとすると、廊下にて小言で話す中年の男女がいた。
魔理沙が昔面倒を見てもらった使用人のおじちゃんとおばちゃんだ。
おばちゃんからはよく駄菓子を買ってくれたのを覚えている。でもふ菓子ばかりなのはどうかと思った。
おじちゃんにはメンコの使い方を教えてもらった。結局最後まで勝てなかった。子供相手だから手加減しろよ
二人はどうやら、親父とゆっくりについて会話しているようだった。
「今日も当主様とゆっくりちゃんはおやつの時間は一緒にいるようだよぉ」
「孫みたいなもんなんだろ。年をとれば子供が可愛く見えるものさて」
「だろうねぇ。何よりも魔理沙ちゃんとの仲が上手くいかなかったからねぇ。その反動もあるんだろうねぇ。それにしても、魔理沙ちゃん元気なのかねぇ?」
「あのゆっくりって妖怪は人間の子どものように飼い主の姿を真似て、性格も似るって最新版の求聞史紀に書いてあったよ。つまり魔理沙ちゃんも元気にやっている証拠だから安心しな」
おじちゃん達は自分が元気でいる事を喜んでくれていた。魔理沙は嬉しかった。
その一方で魔理沙の形を真似たゆっくりが働いていることに対して不満らしい不満を持っていないことが、魔理沙自身は若干不満であった。
商売人なんだからもう少し色々考えて欲しい。平和ボケしすぎだろ。
「家出したと聞いた時は妖怪に食べられるんじゃないかと思って気が気じゃなかったよぉ。それを助けてくれたのが魔法使いの悪霊だっていうから世の中わからないものだねぇ……」
「だけどそいつのせいで魔理沙ちゃんは魔法使いの道を歩んじゃったからな。命の恩人とはいえ、複雑だよ」
段々と二人の顔に落胆の色が浮かぶ。
「はぁ……魔理沙ちゃんもせめて顔ぐらい見せてくれればいいのにねぇ……」
「魔理沙ちゃんのお母さんが魔法の事故で亡くなってからだな……あれ以来うちじゃ魔法関係の道具を仕入れなくなるくらいだったし……」
「魔理沙ちゃんはお母さんが大好きだったしねぇ……」
「だけどちょっとぐらい顔を出してくれてもいいのにな……親父さんが可哀想だよ……」
おじちゃんおばちゃんごめん。
光学迷彩で向こうから姿は見えないはずなのに、魔理沙は顔を隠すように帽子を深く被りながら通り過ぎた。
居たたまれなくなった。もう十分だった。
このまま居ると自分への非難が聞こえてきそうな気がした。
被害妄想とはわかっていても、そんなものは聞きたくなかった。
◇
魔理沙は家に帰ってきた。
ぼんやりと大部屋の一角を見る。そこはゆっくりまりさの区域。
漫画や本、ゲーム機、パソコン、就寝用の毛布を敷いたダンボール。様々な物が溢れている。
そこで一日中好きな事をやって、好きに生きて、幸せに暮らせる。
何だか少し腹が立った。部屋の隅っこに押しのけてやれ、ほれほれ。
今度は部屋中を見回す。ゆっくりまりさの私物がある区域だけではなく、部屋中家中を。
そこにあるのは集めてきた道具の数々。
人はこれらをガラクタの山と呼ぶけど、ひとつひとつに大事な思い出がある。
自分も物を捨てられない性格だよなぁ、と魔理沙は思う。
思えば母さまの残した魔法具を捨てられたのがトラウマになったのかもしれない。
魔理沙はゆっくりと過去を回想していった。今日は何故かそんな気分だった。
◆◆
亡くなった母さまは魔法使いだった。比喩ではなく、本来の意味での魔法使い。
もっとも、種族魔法使いではなく人間の魔法使いだった。丁度今の自分のような感じだ。
この金髪も母さまに似ているってよく言われたっけ。
親父は結婚するまで知らなかったらしい。
だけどベタ惚れの親父からすればそんなことはどうでもよかったらしく、
当主であることをいいことに道具屋霧雨店にはたくさんの魔法具が並んだ。
私も子供の頃、母さまからたくさんの魔法を見せてもらった。
キラキラと夜空に星を輝かせる魔法、光を放って辺りを照らす魔法、お洒落な洋服に着替えさせる魔法。
どれも凄くて、わくわくして、興奮した。
だけど、あの日、あんな事故が起こるとは思ってもいなかった。
「…………はぁ」
母さまが亡くなって以来、私は母さまを継いで魔法使いになることを決めた。
そして親父は猛反対した。大好きな妻と同じ事故を起こしかねない魔法使い。そりゃ嫌がるだろう。
だけど、母さまとの思い出の魔法具まで捨てられそうになった時は耐えられなかった。
一番その行為をしたくなかったのは親父かもしれない。親父は母さまを愛していた。
だからこそ、その娘の私が母と同じ道を辿ることは避けたいと思っていたに違いない。
事故の原因となった魔法具に私を近づけたくなくなる気持ちも何となくわかる。
親父も冷静さを失っていただけで、後々落ち着いてみればあのときの事は後悔しているのかもしれない。
でも私は親父のその行為が耐えられず家を飛び出した。子供の行動力とは恐ろしいものだ。
あの時魅魔様に拾われてなかったら確実に死んでいただろう。
それから私は魅魔様のおかげで、事故らしい事故もなく魔法を学ぶことが出来た。
本人は魔法を教えるようなことはしていないって言ってたけど、
私が実験や実践で危ない目に会いそうになったらそれとなく助け舟を出してくれていたのを覚えている。
悪霊の癖に優しい人だった。
今はもう、いないけど。
私は魔法を追い求めた。抜けるような青空を自由に飛びたい。
キラキラと光輝く魔法を思う存分に使ってみたい。この世界はとても楽しいものに溢れていると思う。
それは夢だった。母さまが見せてくれた夢。
今の生活は楽しい。毎日がワクワクする。だけど子供の頃世話してくれていた達を無碍にする必要があったのかと思う。
もっと年をとって、地道に説得すれば丸く収まったのかもしれない。
だがしかし、そんなものはもう過ぎたことだった。
◆◆
魔理沙が回想から戻り時計を見たら、夕食の時間が近づいていた。
そういえば今日はご馳走でも作ってやろうかと思ってたんだっけ?
やっぱり面倒だとも思ったけど、面倒でやらないのはニート時代のゆっくりまりさのようで癪だ。
一度思ったことは実行に移そうと、魔理沙は夕食の準備を始めた。
魔理沙はゆっくりと一緒にいてわかった事が一つある。それは人が赤子を可愛いと思う理由の一面。
この世で最も可愛い生き物は思い通りになる生き物。自分に依存してくれる生き物。
そう、自分の言う事を素直に聞いてくれる生き物だ。
だからこそ、子供は可愛い。親がいなくなったら生きていけないから。
――まりさ! まりさ! ゆっくりよんでいってね!
――自分で読めよ~……面倒な奴だな~……
――よめない~……へるぷみ~まりさ~……
――…………全く……しょうがないやつめ。こっち来いよ。
――ゆっくりしていってね♪ ゆっくりよんでいってね♪
――うりうり~
――ゆ~♪
夕食を作り終え暇を持て余した魔理沙は床に無造作に置かれた漫画を手にとって中身をパラパラと見ている。
昔ゆっくりにあげた漫画だ。あいつは昔文字も読めなかったなぁとしみじみと思い返す。
我ながら甘やかし過ぎたと彼女は思う。今はそんなことする気にもなれない。
だけどそれにしても本当に、ゆっくりまりさは可愛くなくなったよなぁ。
漫画をともに読んだ頃を懐かしく思う。
それにしても今日はゆっくりが帰ってくるのが遅い。夕飯が冷めちゃうじゃないか、あの馬鹿。
カチ、カチ、カチ。
時計が規則正しく秒針を刻み、分針を回し、時針を動かす。
魔理沙はこうやって1人だけで家の中で長い時間を過ごしていることはずいぶんと久しぶりな気がした。
父は家の中に使用人がたくさんいる。けれど、家族はいない。
もしもゆっくりまりさが家出したら、私はまた家の中で一人ぼっちなのか。
その事実が魔理沙の頭をよぎる。
「……はっ」
魔理沙は鼻で笑う。だからどうした。ペットへの幻想が消えた今更となっては寂しくもなんともないぜ、多分。
――だけど、いつまでもこのような生活が続くとは限らない。
一方で、そんなことを考える自分もいた。
自分も将来結婚をして生活環境が変わるかもしれない。
人間をやめて今のような生活で馬鹿をやり続けるかもしれない。
そのときゆっくりまりさは当たり前のように寄生してくるだろう。
でも、もしもゆっくりまりさが自分自身の意思で出て行くことがあったら?
そう考える。
私のように、と。
そう、子供はいつか成長して巣立つときが来る。
無論実家を継いだり家に縛られることもあるが、
ふとした拍子に死に分かれたり、疎遠になったり、最悪家出したりといつかは離れる事になる。
不老不死の蓬莱人でさえも、心は不変じゃない。それぞれの生涯がある。
自分で行動するようになり、思い通りにならなくなり、他人にとって可愛い存在じゃくなくなる。
子供が大人になって可愛くなくなる事なんて当たり前なのかもしれない。
弱いからこそ可愛い。それはある意味暴論なのかもしれない。
子はいつまでも可愛く都合のいい存在じゃないといけないなんて親の我侭なのかもしれない。
ゆっくりまりさは育てるごとに語彙が増えた。喋り方がゆっくりっぽくなくなった。
昔のようにストレートに感動を言わなくなった。言葉遣いも乱暴なものを覚えるようになった。
小賢しい事を考えるようにもなった。趣味は人前に晒しだせるようなものをしていない。
ご飯を食べたとき『しあわせ~』や『ぱねぇ!』や『おいしいっ! おいしいっ!』
などと言った感動を口にする事は無くなった。食事自体に対する感動が失われたとはまた別のものだ。
単にわざわざ口に出すことじゃなくなったというだけの話。
誰だって大人になるにしたがってそうなる。時たま「今日の~~ぱねー」と口に出す程度だ。
家の中でごろごろすることが増えた。
魔理沙が持ってきた物は皆捨てずに寝床であるダンボールのそばに置いている。
正直言って掃除の邪魔だ。殆ど掃除しないけど。
生意気になった。口答えすることを覚えた。表情が多彩になった。
よく笑ってよく泣いてよく逆切れするようになった。
だけど――それでもいないよりはいた方がいいと魔理沙は考える。
家の中に帰ってきたとき「ただいま」という相手がいる。家の中にいるときに「おかえり」とで迎えられる相手がいる。
でもそれもいつかはなくなる。
雛はいつかは巣立つ。親の庇護を離れて飛んでいく。そのとき可愛いだけじゃ生きていけないのだ。
子供のままだと危なっかしくってしょうがない。大きな子供のままでは不安過ぎる。
親にとって子供はいつまでも子供。だったら元気にしていてほしい。
どうせ別れる事になるのなら、元気がいいほうに決まっている。
だったら親にとってこの世で二番目に可愛いのは、元気に生きる子供なんじゃないか?
『ゆっくりしていってね! ただいま!』
「帰ってくるのが遅いぞ!」
『ごめんね! ゆっくりしてたよ!』
帰ってこないんじゃないかと思った。家出したんじゃないかと思った。
両手でゆっくりの餅のように柔らかいほっぺたをぐぃぃ~と引っ張って伸ばす。
うりうり。こいつめ。
これから先いつか出て行くことがあったらせいぜい苦労しろ、それで保護者のありがたみを実感するがいいと魔理沙は邪悪に笑った。
その夜、ゆっくりまりさは魔理沙の作ったご馳走をゆっくりと美味しそうに平らげた。
最終更新:2010年09月26日 11:25